大山嶽・浅茅山(読み)おやまだけ・あさじやま

日本歴史地名大系 「大山嶽・浅茅山」の解説

大山嶽・浅茅山
おやまだけ・あさじやま

大山集落の東にある。標高一八七・六メートル。「津島紀略」では於耶末惰計と訓じる。「万葉集」巻一五に遣新羅使の歌三首が採用され、「至対馬島浅茅浦船泊之時、不得順風、経停五箇日泊」というなかで「百船の泊つる対馬の浅茅山しぐれの雨にもみたひにけり」と詠んでいる。「津島紀略」はこの浅茅山を大山嶽、浅茅浦を大山の西の内海に比定している。元禄一三年(一七〇〇)の対馬国郡絵図も大山嶽を安佐治あさじ山と記す。低い山が多いこの一帯でこの山は抜群に大きく、古くはおお嶽とも称された。中世以降の嶽信仰により大山嶽とよばれるようになったのであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む