大崩島村(読み)おおくずしまむら

日本歴史地名大系 「大崩島村」の解説

大崩島村
おおくずしまむら

[現在地名]平村大崩島

須川(すがわ)村の北、庄川右岸の斜面に位置し、上(たか)村と下(した)村に分れ、河岸近くの下村が垣内(三州志)。南東は高い岩山で、村名はこの山崩れによる地形に由来する。川向いの渡原(どのはら)村へ籠渡しが架かり、綱の総長五五間、うち三〇間は両詰巻留間数、二五間は籠通用間数。籠綱の藤は当村と須川村・入谷(いりたに)村・中江(なかえ)村・高草嶺(たかそうれい)村の五村が持寄り、綱打もこの五村で行った。綱引渡しは渡原村・杉尾(すぎお)村も加えた七村が人足を出して掛渡した(五ヶ山籠渡覚「十村宅左衛門覚書」寿川区有文書)。寛永七年(一六三〇)の高七〇石余、免四ツ五歩三厘(高・免とも幕末まで変化なし)、納所金子一〇両三匁九分余・塩硝代一匁余(「検地見図帳並免定目録」川合家文書)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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