日本歴史地名大系 「大巧寺」の解説 大巧寺だいぎようじ 神奈川県:鎌倉市小町村大巧寺[現在地名]鎌倉市小町一丁目旧小町大路(こまちおおじ)沿い、小町口の近くにある。単立寺院。長慶山正覚院と号し、もと妙本(みようほん)寺の院家。開山は日澄、本尊は産女霊神。「風土記稿」は、もと十二所(じゆうにそ)にあり、真言宗大行寺と称して源頼朝の祈願所であった頃、この寺で軍評定をして大勝したので大巧寺と改めたという。天文一六年(一五四七)一〇月一二日、北条氏康は永正七年(一五一〇)の検地に従い敷地一貫二〇〇文分を寄進(「北条家朱印状写」県史三)、天正三年(一五七五)二月一七日に譜代旦那浜名時成が能成(のうじよう)寺分夏秋六貫文の地を寄進(「浜名時成証文写」同書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by