日本歴史地名大系 「大成村」の解説 大成村おおなりむら 埼玉県:大宮市大成村[現在地名]大宮市大成町・東大成町(ひがしおおなりちよう)・桜木町(さくらぎちよう)・日進町(につしんちよう)・櫛引町(くしひきちよう)村の大部分は大宮台地上にあり、西側の一部が高沼(こうぬま)排水路沿いの水田となっている。東端を中山道が通り、南は大宮宿に達する。徳川氏の関東入国後、時期は不明だが旗本小栗忠政領となり(寛政重修諸家譜)、寛永二年(一六二五)七月子孫の仁右衛門(信由)が、徳川氏から当村で五五〇石を宛行われた(記録御用所本古文書)。同九年関東郡代伊奈忠治の検地があり、同年六月の足立郡大成村下組田畑屋敷帳(関口家文書)によると、村は上・下二組に分れており各々名主がいた。 大成村たいせいむら 北海道:檜山支庁大成町大成村昭和三〇年(一九五五)七月久遠(くどお)村と貝取澗(かいとりま)村が合併し久遠郡大成村が成立。両村の一一字のうち字白泉(しろいずみ)は貝取澗と改称、その他は継承した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報