大掾氏(読み)だいじょううじ

改訂新版 世界大百科事典 「大掾氏」の意味・わかりやすい解説

大掾氏 (だいじょううじ)

古代末期~中世の常陸国の豪族桓武天皇の曾孫高望の子国香が常陸大掾に任官して,土着したと伝える。国香の子貞盛は平将門の乱で同族の将門を破り,この地方に勢力をたくわえた。その子の維幹(一説には貞盛の弟繁盛の子ともいう),孫の為幹と常陸大掾の職を世襲,職名の大掾をみずからの名字とした。12世紀以降,一族は常陸国の南半分をほぼ勢力下においた。鎌倉時代の初め,本宗の大掾義幹と弟の下妻広幹は失脚,両者の支配領域へは守護の八田知家の一族が進出するが,大掾職は庶流馬場資幹に継承された。以後資幹の子孫が大掾職を世襲する。鎌倉時代から室町時代にかけて,国府(現,石岡市)周辺から鹿島・行方(なめかた)両郡,さらに水戸市とその周辺部にまで一族が勢力を保持した。1590年(天正18)当主大掾清幹は佐竹氏に攻められて自殺,翌年には庶流の常陸南部の在地領主の多くも佐竹氏に謀殺され,滅亡した。
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世界大百科事典(旧版)内の大掾氏の言及

【佐竹氏】より

…89年(文治5)になって頼朝の奥州藤原氏征討に加わり,その功によって御家人の列に加えられ,旧領の一部を回復,承久の乱でも活躍し,美濃国にも所領を給与された。南北朝内乱にさいして,貞義が終始足利尊氏に荷担し,南朝方の小田氏や大掾氏らと戦って制圧し,その功によって小田氏に代わり常陸守護職に任命された。しかし守護になってもその権限の行使は実質上常陸北東部に限られ,吉田,行方,鹿島,真壁,南郡の5郡については大掾氏が権限を握っていた。…

【馬場氏】より

…やはり清和源氏であるが,義光(頼義の子,義家の弟)の流である。(3)桓武平氏 平維幹(国香の孫,繁盛の子)に発し,常陸大掾を世襲する大掾(だいじよう)氏の一族で,同国那珂郡馬場を本拠とする。大掾氏一族の惣領多気義幹は同じ常陸の八田知家と対立し,1193年(建久4)知家の讒言(ざんげん)で岡部泰綱に預けられ,所領は没収の上,支流の馬場資幹に与えられた。…

【常陸大掾伝記】より

…常陸大掾氏本宗および支族の伝記。常陸大掾系図が添えられている。…

【常陸国】より

…南部は古くから常陸平氏一族の支配下にあり,おそらくは,12世紀後半南野牧の自立,小鶴(こつる)荘の分出ののち南郡・北郡に分かれた茨城郡,鹿島・行方両郡および,令制の那珂郡から早くに分出した吉田郡などもその勢力のもとにあった。常陸平氏の嫡流は,国衙の大掾の職を世襲して大掾氏を称し,茨城,筑波,信太,真壁郡などを支配してきたが,その支配地の多くを中央の権門勢家に寄進し,荘園化を進めた。その中には茨城郡内の小鶴荘(摂関家領),筑波郡の一部から真壁郡へかけての南野牧,村田荘,田中荘,下妻荘(いずれも八条院領)などがある。…

※「大掾氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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