改訂新版 世界大百科事典 「大散関」の意味・わかりやすい解説 大散関 (だいさんかん)Dà sǎn guān 中国,陝西省宝鶏県南西25kmにあり,大散嶺を越えるための隘路(あいろ)。散関,崤谷(こうこく)とも呼ばれる。関中と漢中を結ぶ要路として,南北に政治勢力が対峙する際には,攻守によろしき地として重要視された。例えば南宋と金の国境の西端となるなど。漢中王劉邦が関中に入り,蜀の諸葛亮(しよかつりよう)が魏の陳倉を攻めた際には,南から北にこの地を過ぎ,唐の玄宗が四川に逃れ,元や明が四川を平定する時は,北から南へ通った。執筆者:狩野 直禎 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大散関」の意味・わかりやすい解説 大散関だいさんかんDa-san-guan; Ta-san-kuan 中国,陝西省宝 雞県南西の秦嶺山脈の大散嶺にある関門。渭水流域から南の漢中,四川に通じる要路にあたり,宋,金両国の国境線上の要地として有名。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by