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漢中 カンチュウ

百科事典マイペディアの解説

漢中【かんちゅう】

中国,陝西省南西部の都市。漢水の上流左岸に沿い,漢中盆地の中心地。付近は水田が開け,米,薬材,生糸,漆器等を産する。漢水による水運と,四川省へ通じる道路交通の要衝をなす。

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世界大百科事典 第2版の解説

かんちゅう【漢中 Hàn zhōng】

中国,陜西省南西部,漢水上流の漢中盆地の中心都市。人口47万(1994)。現在は陝西省に属するが,宋以前は南の巴蜀と結びつけて考えられていた。四川・陝西間の要地であり,漢水を下って長江(揚子江)とも通じるので,古来この地をめぐって争いがくり返された。漢楚の際,劉邦は漢中王に封じられ,三国時代,劉備の所有に帰した。秦代に郡,明・清代に府が置かれた。【狩野 直禎】

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大辞林 第三版の解説

かんちゅう【漢中】

中国、陝西せんせい省南部の漢水上流域の盆地。漢の高祖劉邦りゆうほうが天下統一の根拠とした地。漢。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

漢中
かんちゅう / ハンチョン

中国、陝西(せんせい/シャンシー)省南西部の市。漢中盆地の中央にあり、漢中地区の中心都市である。北を秦嶺(しんれい/チンリン)山脈でくぎられ、この地域は自然のうえでは南方に属するが、北方の渭河(いが)平原、陝西と南方の四川(しせん/スーチョワン)、湖北(こほく/フーペイ)を結ぶルートにあるため、戦略上きわめて重要な地域で、歴史的には南方に帰属する時代と北方に帰属する時代が交互し、独特の地域性を形成した。春秋時代には蜀(しょく)に属したが、戦国時代には秦(しん)と蜀に分属し、ついには全部が秦に帰した。秦代に南鄭(なんてい)県と漢中郡を設け要害の地とした。秦末には劉邦(りゅうほう)がこの地を本拠地として漢王朝を創設し、三国時代にはこの地をめぐって蜀と魏(ぎ)が争ったのは有名である。その後も多くの歴史的事件の舞台となった。1949年南鄭市を設けたが、53年漢中市に改名し、南鄭県は別に市の南に設けた。64年県に戻されたが、80年ふたたび市となった。高温多湿な気候により沖積平野では水稲が栽培されるほか、アブラナ、果物などの農産物に恵まれる。南北両地域からの物資集散地として商業が発達し、とくに四川地方から移住してくる人口も多かった。市内には漢代にゆかりのある遺跡が多く、劉邦が漢王になったときの宮廷の遺跡といわれる漢台などがある。[秋山元秀]

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世界大百科事典内の漢中の言及

【漢水】より

…樊城は漢の建安年間(196‐219)に関羽が漢水の急流を利用して立てこもる于禁を撃破した古戦場として有名である。また上流部は秦の漢中郡で,劉邦は秦を滅ぼした後,漢中王としてこの地に封じられた。古来,南北抗争の地で,三国時代蜀の劉備と魏の曹操がこの地を争ったことは有名。…

【南鄭】より

…中国,陝西省南西部,漢中地区の県。人口52万(1994)。…

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