日本歴史地名大系 「大方竈」の解説
大方竈
おおかたかま
[現在地名]南島町大方竈
文禄三年(一五九四)一一月二八日の竈方庄屋年寄連署山わけ証文(竈方文書)に「南伊勢渡会郡六竈中二十五ケ所山之わけ之事」として「一、五ケ所道行大方竈志ほが、ちな、かさらぎ、みゑ嶋、こがり、かいご、右之通御検地請為山年貢定米三十石納申候為後日仍如件、文禄三年
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
文禄三年(一五九四)一一月二八日の竈方庄屋年寄連署山わけ証文(竈方文書)に「南伊勢渡会郡六竈中二十五ケ所山之わけ之事」として「一、五ケ所道行大方竈志ほが、ちな、かさらぎ、みゑ嶋、こがり、かいご、右之通御検地請為山年貢定米三十石納申候為後日仍如件、文禄三年
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