精選版 日本国語大辞典 「道行」の意味・読み・例文・類語
みち‐ゆき【道行】
みちき【道行】
みち‐ゆ・く【道行】
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語彙としてはすでに《万葉集》に見えるが,一般的には,道を行くこと,また旅することをいう。日本文学や芸能では,二つの固有な使い方がある。一つは,旅の途次の地名を次々と詠み込む表現形式であり,〈道行文〉といわれる。いま一つは,宗教行事や芸能に関連して,行道(ぎようどう)時に奏する音楽や歌謡を名づけて〈道行○○〉という。表現形式としての道行は記紀にも見られるが,盛んに用いられるのは,平安末期以降,中世の文学・芸能においてであり,たとえば,今様では,目的地までの時間的経過が感じられる表現となっている。これは,和歌の修辞の一つである歌枕に加え,交通の発達に伴う現実の地理的興味の増大と参詣巡礼の流行の影響と考えられる。さらに宴曲(早歌(そうが))の〈海道〉や《平家物語》の〈海道下り〉で,行程を追いながら,風景やそれにまつわる物語も盛り込んだ抒情的な表現形式として確立し,その後も《太平記》を頂点として軍記物語などに多用された。
一方,音楽的道行は,伎楽(ぎがく)が原点と思われる。演技を始める前に演者全員の行列があり,そのとき奏される音楽を〈道行音声(おんじよう)〉〈道行拍子〉という。舞楽でも舞人が楽屋から舞台に上がるまでの道行に演奏される音楽がある。延年の連事(れんじ)や風流(ふりゆう)にも道行ぶりがあり,曲舞(くせまい)(〈東国下り〉と〈西国下り〉がある),幸若舞,説経と進むにつれ,音楽だけのものから,道行文との結合が図られ,さらに謡い物から語り物へと移行していく。能では,ワキが目的地に行くまでの経過を表す〈道行〉は序段の中心をなし,明確な演劇的表現となっている。狂言における道行は,《通円》のように謡のあるものと謡のないものとがあるが,名ノリ座から目付柱,脇柱のそばを通って名ノリ座に戻ることによって目的地に到着することを示す一種の舞台転換法となっている。こうした叙景と抒情を融合させ,時間と空間の推移を描く道行形式は,説経,古浄瑠璃を経て,近松門左衛門の浄瑠璃において,飛躍的な展開を遂げる。近松は,時代物でも,従来の形式を継承しつつ,場面転換に巧みに使用したが,世話物では,全編の劇的な中心に,この形式を置くことによって,悲劇としての様式を確立した。《曾根崎心中》がその出発点である。文学的な意味でも,〈道行文〉の定型を逆手にとり,〈物づくし〉などを援用しつつ鋭い緊張と葛藤に満ちた優れた詞章となっている。以後,人形浄瑠璃では,一作のうちに必ず道行の場が設定されることになり,時代物の道行は5段構成の四段目の口(くち)に,世話物の道行は3巻構成の下の巻に置かれるのが原則となった。人形浄瑠璃の舞踊的場面を〈景事(けいごと)〉というのは,道行の景色を詠み込んでいくことから出た言葉である。歌舞伎ではその初期の時代に右近源左衛門が《海道下り》を得意とし,のちに市村座の〈寿狂言〉として伝えられた。また〈道行事〉は元禄期(1688-1704)以来,歌舞伎独自のものと人形浄瑠璃とが交流したものが発展し,歌舞伎舞踊の中で重要な位置を占めるに至った(〈道行物〉)。なお,舞踊においては一曲中の構成単位として,オキ(置)に続く部分を《娘道成寺》のように〈道行〉(出端(では))と称する。
→道行物
執筆者:戸部 銀作
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
日本の文学・芸能・音楽における用語。人が旅をして、ある目的地に着くまでの道程を、次々と地名と特色のある風景を詠み込んで表現する形式で、早く記紀歌謡や『万葉集』にもみえる。語物では『平家物語』や『太平記』にある「海道下(かいどうくだ)り」の形式が後世の規範になった。曲舞(くせまい)の『東国下(とうごくくだ)り』『西国下(さいごくくだ)り』が有名。芸能の分野では、伎楽(ぎがく)、舞楽(ぶがく)、延年(えんねん)、能、狂言、民俗芸能などに広く「道行」の名称と、それに伴う特殊な音楽や演技がある。能では、ワキが旅をして目的地に着くまでの道中を表現し、序段における重要な部分になっている。説経節や古浄瑠璃(こじょうるり)にも道行の形式はみられるが、とくに近松門左衛門によって世話浄瑠璃の道行が創造されると、旅する人物の心情を描く傾向が強く表現されるようになる。『曽根崎(そねざき)心中』以後、男女の心中行と道行とが結び付き、叙景と叙情との混然とした、哀艶(あいえん)切々たる美しい詞章が生みだされた。
人形浄瑠璃では一作中にかならず道行の一場を設定し、数挺(ちょう)の三味線を伴奏に、華やかに演じられる。浄瑠璃の道行は原則として、時代物の場合は五段構成のうちの四段目の口(くち)、世話物の場合は三巻構成のうちの下の巻に置かれた。歌舞伎(かぶき)舞踊では、義太夫(ぎだゆう)物の道行のほかに、清元(きよもと)、常磐津(ときわず)など豊後節(ぶんごぶし)系統の浄瑠璃を地とする道行が多数つくられ、「道行物」と名づける一ジャンルを形づくっている。道行には、心中のための道行のほか、死を前提としない男女の恋の道行、親子・主従による道行などもあり、人数も2人とは限らず、まれにではあるが1人あるいは3人以上によるものもつくられている。道行舞踊の代表的なものは、義太夫節の『道行初音旅(はつねのたび)』(吉野山)、『道行旅路の嫁入』(八段目)、『道行恋苧環(こいのおだまき)』(お三輪(みわ))、『道行菜種(なたね)の乱咲(みだれざき)』(吾妻与次兵衛(あづまよじべえ))など、豊後節系で『吉野山道行』(富本(とみもと)・清元など)、『道行旅路の花聟(はなむこ)(落人(おちうど))』(清元)、『道行浮塒鴎(うきねのともどり)(お染(そめ))』(清元)など。
[服部幸雄]
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(若井敏明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…これが当社の起源であるという。確実な史料としては,668年(天智7),新羅の沙門の道行というものが,ひそかに神剣を盗み帰国しようとしたが,風波に吹きかえされたとあり,それより神剣は皇居にとどめられることになったが,686年(朱鳥1),天武天皇の病にさいし,神剣のたたりによるものといわれたので,ふたたび熱田に送りかえしたとある《日本書紀》の記事である。その後,奈良時代には目立った記事はなく,社格も低かったが,807年(大同2)に,斎部広成が当社を例幣にあずからしめるよう請い,822年(弘仁13),従四位下を授けられ,859年(貞観1)正二位,そののちついに正一位に昇叙された。…
…一般には婚姻に関して相思の男女が相伴ってひそかに他所へ逃げることをいう。演劇の用語をかりて江戸時代には道行(みちゆき)ともいった。婚姻の成立には,当事者の合意だけでなく当該社会の承認が必要であり,そのまず第一は双方の親,親族などの承認を得るのが一般である。…
…以上の各場は作曲,演奏の上でやはり区別される。(2)段物と道行・景事 劇的性格のつよいふつうの曲を段物という。通常太夫,三味線各1人ずつで演奏し,ときに三味線がさらに加わるツレ弾きや,箏,胡弓などが部分的に加わることもある。…
…義太夫節も掛合で演奏し,段物浄瑠璃と違った独特の音遣い,きれいな三味線の音色をきかせる。広義には,道行をも含むが,普通は区別している。また,普通の段物浄瑠璃中にも,一部分が景事とおなじ音楽性を示す場合がよくある。…
…舞楽では中心となる舞曲(当曲(とうきよく)という)のほかに必ず舞人の登・退場のための音楽を必要とし,このほか曲によっては序奏や間奏曲,あるいは当曲自体が数楽章に分かれるものなどいろいろあるが,これらの楽章と,舞人の登・退場,演舞の関係が唐楽と高麗楽とでは異なる。唐楽では当曲の前後に,これとは別個の調子の品玄(ぼんげん)・入調(にゆうぢよう),各種の乱声(らんじよう),乱序(らんじよ),道行(みちゆき)などの登・退場楽をもつものがほとんどであるのに対し,高麗楽では《高麗乱声(こまらんじよう)》という登場楽をもつものが数曲ある以外は,ほとんどの曲が当曲の間に登場,演舞,退場するという簡素化された形をもつ。その代り,舞人が楽屋にいる間に奏される序奏曲に関しては,高麗楽ではほとんどの曲が各種の音取(ねとり),小乱声(こらんじよう),納序(のうじよ),古弾(こたん)などの序奏をもつのに対し,唐楽では序奏をもつものは数例にすぎない。…
※「道行」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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