祖先崇拝は,ある集団の生きている成員の生活に,死亡したかつての成員が影響を与えている,または与えることができるという信仰に基づく宗教体系である。一般に〈崇拝〉行為を行う現成員と,これを受ける死亡した成員は,実際または擬制的に〈子孫〉と〈先祖〉の関係にたつ。祖先崇拝においては,現成員である〈子孫〉は,自分たちとその集団の存在を〈先祖〉に負うものと考える。この事実を認め,感謝を怠らないことが〈先祖〉の善意や守護を引き続き確保し,より幸せな生活を送るために(または不幸に見舞われないために)不可欠であると考えるのである。〈先祖〉に対する〈子孫〉のコミュニケーションは一定の儀礼を通して行われ,この儀礼を一般に祖先祭祀と呼ぶ。
およそ人がこの世に生まれ出るために親,親の親,そのまた親等々の存在が必要なことは言うまでもない。しかしこれら先行世代の人々は,すべての社会において〈先祖〉として認められ,社会的意味づけをされているわけではない。生物学的な意味での先祖が明確にたどれる場合でも,そうした関係は社会組織上特別の認知を受けず,特別の機能を果たさない社会は数多くある。一方〈先祖〉が社会的に重要である社会においても,親子関係の連鎖で結ばれる上位世代のすべての死者が〈先祖〉とみなされるわけでは必ずしもない。特定カテゴリーの死者を〈先祖〉として社会的に認知するか否か,認知するならどの範囲の死者を〈先祖〉とみなし,彼らをどのように序列づけるか,さまざまな〈先祖〉に対し〈子孫〉はどのような儀礼を行い,その儀礼を通し〈先祖〉との間にどのような関係を結ぶか等々,これらの問題は個々の社会の社会組織や文化の脈絡の中でしか理解することはできないだろう。祖先崇拝は,この意味で,人類社会に普遍的な現象ではない。とはいえ,文化人類学者や社会学者が〈祖先崇拝〉と包括的に呼ぶ現象には,次のような共通の特徴も認められる。
(1)祖先崇拝における儀礼の受け手〈先祖〉と儀礼行為者〈子孫〉の関係は,死者と生者の関係である。ただし,すべての死者が自動的に〈先祖〉になれるのではない。〈先祖〉としての地位を獲得するために死は必要な条件であるが,しばしば指摘されるように,十分な条件ではない。一般に死者が〈先祖〉になるためには,次の諸条件を満たさなければならないようである。(a)異常な死に方をしなかったこと。自殺,水難,火災など事故による不慮の死,癩(ハンセン病)などによる死は,普通正常死とはみなされない。(b)死亡時一定年齢に達していること。多くの社会で夭逝した者は真の〈先祖〉にはなれない。(c)生存する後継者をもち,この後継者が葬儀その他一定の儀礼を死者のために営んでくれること。
(2)上の条件を満たす死者が〈先祖〉であるのは,後継者とその集団に対してのみである。一般に〈先祖〉と〈子孫〉の関係は,両者が一定の系譜関係で結ばれているときにのみ成立する。両者を結ぶ系譜関係は単系出自原理に基づく場合が多く,父系社会では父系出自patrilineal descentまたは父子関係patri-filiationの原理が支配する。ただし,ここで重要なのはあくまでも系譜関係であって,実際の血縁(生物学的)関係ではない。非血縁者であってもその社会で認められた方法で養子となれば,養取者との間に正規の親子関係を成立させたことになり,養取者を通して養取者の〈先祖〉と〈先祖〉-〈子孫〉関係をもつことができる。非血縁者を分家とした場合も同様に,この擬制的親子関係を通じて,分家は集団の〈先祖〉の〈子孫〉となるのである。いずれの場合にせよ,父系(的)社会における〈先祖〉と〈子孫〉の原型的関係は父と子の関係である。
(3)祖先崇拝を行う多くの社会において〈先祖〉の系譜はしばしば出自集団の構造や政治組織と呼応している。たとえばフォーテスMeyer Fortesはタレンシ社会(ガーナ)のさまざまなレベルのリネージの統合性とアイデンティティの要が祖先であること,〈先祖〉のヒエラルヒーと分節的父系リネージ制度は呼応することを証明し,〈彼らが祖先を崇拝するのは,彼らの社会構造がそれを要求するからである〉とまで言いきっている。古代ローマの親族制度と宗教を分析したフュステル・ド・クーランジュ,中国の親族制度を扱ったフリードマンMaurice Freedmanもそれぞれの社会において同様の呼応関係を見いだしている。このような形の祖先崇拝を行う社会において,祖先祭祀権はしばしば集団の長としての法的権威と不可分に結びつき,長としての権利義務の重要な一部を構成する。このような社会においては,個人は特定の親の子として生まれることにより,集団を象徴する特定の先祖と一定の関係に入り,その先祖と他の先祖との関係を通して,他の集団や個人と一定の公的関係を持つに至る。いわば個人の社会的地位や公民権が祖先崇拝を通して規定されるとも言えるのである。こうした〈公的な〉祖先崇拝においては,個人の特定先祖に対する思慕や個人的感情は,ほとんど意味がない。祖先崇拝は死者儀礼memorialism,veneration of the known deadを含むが,死者儀礼は祖先崇拝ではない。
(4)にもかかわらず,祖先崇拝には社会組織との関連だけでは説明しきれない要素が残る。それは主として,祖先崇拝がフォーテスの言う〈世代継承の不可避性にみられる悲劇的ディレンマ〉,すなわち親は自身の先祖としての存続を確保し,集団と先祖に対する義務を果たすためにあとを継ぐ子を必要とするが,子があとを継ぐためには自身が死ななければならないというディレンマと深くかかわっているからであろう。祖先崇拝は,親の死に罪悪感を抱く子に親の死を受け入れさせると同時に,死んだ親を先祖として生かし続けることにより,このディレンマに一つの解答を用意しているのだとフォーテスは主張する。
(5)祖先崇拝には(3)でふれたような出自制度にかかわる〈公的な〉ものと,家単位,個人単位で行われる最近の死者にかかわるものがあることは,それぞれニュアンスは違うがフォーテス,フリードマン,有賀喜左衛門らによって指摘されている。いずれのタイプの祖先崇拝にせよ,一つの社会の祖先崇拝のあり方はその社会の家族・親族制度,とりわけ親子関係のあり方と密接に関連しているようである。一例をあげれば,スミスRobert J.Smithは《現代日本の祖先崇拝Ancestor Worship in Contemporary Japan》(1974)で,リネージ・システムを欠く今日の日本であがめられる先祖は直系構造をもつイエの先祖から夫婦の双系的近祖へと変りつつあること,先祖への個人的感情的親近感がもっぱら強調されてきている点などをあげ,これをイエ制度の崩壊と関連づけている。
→出自 →先祖
執筆者:田中 真砂子
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亡くなった祖先に対する慣習化した信仰と儀礼。死者に対する崇拝とは異なる。死者がすべて祖先になるとは限らないからである。死者は、社会的に正統と認められた子孫をもって初めて祖先になりうる。多くのアフリカ社会で子孫を残すことなく死んだ者が祖先として崇拝されない理由がそこにある。だれが正統の祖先であるか、あるいはだれが正統な子孫であるかということは、祖先崇拝を行う社会の、とくに家族や親族という社会関係に密接に結び付いている。たとえば、アフリカの母系の民族集団アシャンティでは、祖先として崇拝されるのは、子供に身近な存在である父親ではなく、法的権威をもつ母方オジである。
日本において祖先の霊は、集合的祖先神へ合一していくが、このカミへの変容のプロセスが祭祀(さいし)形態としての祖先崇拝に対応している。祖先崇拝は日本でも親族制度、すなわちこの場合は「家」制度と密接に結び付いており、「家」の永続性と系譜性を支えるために重要な働きをしている。
祖先崇拝のある社会とない社会の相違についてミドルトンらは、祖先崇拝は政治集団が単系出自集団に基づいている社会にみいだされやすいと指摘している。アフリカの祖先崇拝の研究に重要な貢献をしたフォーテスによれば、西アフリカの農耕民タレンシの祖先崇拝は、子供が親を敬い、親の望みをかなえ、年老いた親の世話を行うべきであるという一種の「孝」の観念と結び付いている。彼の考えでは、祖先崇拝は一面において親子関係を宗教的世界へ投影したものなのである。祖先崇拝は日本や中国およびアフリカで盛んであるが、そこには重要な相違も認められる。前者においては祖先を他界で安息させるのが主眼であるが、後者においては生者の犯した罪や怠慢を、祖先に対して償うのがおもな目的である。
[加藤 泰]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
家族・部族・民族の祖先を神として崇(あが)め祭り,その加護を祈ること。本来は死霊に対する畏怖と敬愛の感情からうまれた呪術(じゅじゅつ)的な色彩の濃い,自然発生的な信仰であった。祖先とは死者一般をいうのではなく,社会的に正統とみられた子孫をもって,はじめて「祖先」として祭られる。日本の祖先崇拝は,弥生時代の稲作農業の開始と氏族制度が,その習俗成立のうえで重要な役割をはたした。中世以後,荘園や郷村での産土神(うぶすながみ)が,荘民や村民によって祖神と考えられたが,近世にはさらにその範囲が広げられ,すべての神社が祖先崇拝の結果の産物である,と意識されるようになった。こうした見解には孝を中心とする儒教倫理の影響が考えられる。一方,仏教の輪廻(りんね)の説が日本人の霊魂観と結びついたとされる追善供養は,個々の家の祖先崇拝的機能をもつようになった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…またこの聖と俗の重層的な互換性は,現実の必要に応じていくらでも霊験あらたかな流行神(はやりがみ)をつくりだす庶民の宗教的創意性の根拠をなしている一方,それらの神々をまつることによって家内安全,身体健康,病気平癒などの即効的な現世利益を求める庶民の信心の内容をもよく説明するものである。
[祖先崇拝]
最後に日本人の宗教に関する第3の特徴は,人は死んで先祖になり,やがて神になるということを自然に信じてきたということである。日本列島の70%以上は山と森におおわれ,各地に庶民の信仰の対象とされる数多くの聖なる霊山が点々と存在しているが,この宗教的風土こそは日本人の祖先崇拝の重要な母体であった。…
…満州族では祖霊は木や森に宿ると考えられ,見えざる霊を木や森を依代(よりしろ)にして祖霊祭が営まれる。第2は,死霊から先祖霊に至るまで一貫した祭りを行い,死者に対する恐怖感をしだいに減じて親しい関係にまで高めていく祖先崇拝の型で,東南アジアから大洋州にかけての農耕栽培民の世界に関連してみられる。祖先崇拝は生者と死者の相互依存関係において成立する。…
…ついには孔子の〈鬼神を敬して遠ざく〉という言葉のように,宗教離れの傾向が著しくなった。ただ,その孔子が祖先崇拝を重視したのは矛盾のように見えるが,それは孔子が家族制度の維持強化を図るために,祖先崇拝のもつ現実的機能が必要不可欠であることを認めた結果にほかならない。もと周の王朝は一族を諸侯に封ずるという封建制度の上に成立していたので,家族結合が天下の秩序を支える原理になっていた。…
※「祖先崇拝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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