大日如来堂(読み)だいにちによらいどう

日本歴史地名大系 「大日如来堂」の解説

大日如来堂
だいにちによらいどう

[現在地名]萩市相島 合ノ前

あい島のほぼ中央、丘の上にある単立寺院本尊は大日如来。

島の旧庄屋中村家に伝わる「略記文」によると、寿永元年(一一八二)島の西にある「男柱・女柱」という竜神を祀ってあるところに大日如来が一枚の大板に多くの仏像とともに漂着したので、翌年堂舎を建立して安置したという。地元では大日如来は壇之浦だんのうらの戦で海中に没した平氏の持仏であったという(常念寺余光録)。同じく中村家の「棟札焼失ニ付留書写」や「地下上申」および貞享元年(一六八四)竜福りゆうふく寺の棟札銘(「山口県風土誌」所収)によれば、大日堂は永徳二年(一三八二)、応永五年(一三九八)、永享九年(一四三七)、文明六年(一四七四)に四度再建または修復されたとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報