日本歴史地名大系 「壇之浦」の解説
壇之浦
だんのうら
- 山口県:下関市
- 壇之浦
古くは壇と称されたらしく、平安時代末の成立とされる「本朝無題詩」に「着長門壇即事」と題する釈蓮禅の詩があり、
と詠まれている。
壇之浦の由来は諸説あり、「豊府志略」には「此沖より府中迄の間穴門浦と云へり、又壇の浦とも云へり、其故は府中二宮の沖潮涸際に二宮の三の華表あり、夫より波夜止毛の明神まで五百壇の石の階あり故に、今に至る迄壇の浦とは云へり」とある。また「古事記伝」には「早鞆神社を和布刈社とも云て、年毎の十二月晦日の夜和布刈神事と云あり。其夜は常より殊に甚しく潮の干るを、彼社の神主海際の石階を五百段降て、底の和布を刈る。其同時に長門の一の宮の神主も松明を執て、北より同く五百段降りて相対ひ、丑時の降りに南北へ相去る。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報