日本歴史地名大系 「大月潟」の解説 大月潟おおつきがた 新潟県:三条市栗林村大月潟栗林(くりばやし)村の南東、新光(につこう)村との境付近にあった遊水池で、「大槻潟」とも記す。近世初期、五十嵐(いからし)川は現河道のほかに籠場(かごば)付近から北流して天神林(てんじんばやし)(現加茂市)で信濃川旧河道に合流する河道があり、これがむしろ本流であった。一帯には多数の潟が遊水池として散在していた。大月潟は正保国絵図に長さ三町四〇間・横四〇間・深さ四―五尺として描かれる。古くから村の境界とされ、寛永一六年(一六三九)、当時幕府領であった嘉坪川(かつぼがわ)村と新発田藩領塚野目(つかのめ)村がこの付近で野境を定め、大月潟は「如前々入逢」と定められた(鈴木一也氏文書)。以後、潟周辺に新田村が成立するに及んで、元禄八年(一六九五)入会争論が生じ、同一〇年幕府裁許により、栗林村・嘉坪川村・新光村(村上藩領)と塚野目村・大宮(おおみや)新田(新発田藩領)の五ヵ村入会地となった(同氏文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by