日本歴史地名大系 「大枝山陵」の解説
大枝山陵
おおえさんりよう
新笠は、「続日本紀」延暦八年(七八九)一二月二八日条に「皇太后崩ス」とあり、翌九年正月一五日条に「大枝ノ山陵」に葬られたことと、新笠の出自・経歴を記す。
新笠は、渡来系の和乙継が土師氏(のち大枝氏・大江氏を名乗る)出身の大枝真妹とのあいだにもうけた女子で、桓武天皇が山城の乙訓の地に新都長岡京を設営した背景には、母新笠の出身地との関係が考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報