日本歴史地名大系 「大栗山村」の解説 大栗山村おおくりやまむら 福島県:大沼郡金山町大栗山村[現在地名]金山町大栗山沼沢(ぬまざわ)湖と只見(ただみ)川のほぼ中間に位置し、真南には惣(そう)山(八一六メートル)が屹立し、西部は木冷(むくれ)沢の深い渓谷で隣村宮崎(みやざき)村に接する。村の北東は河岸段丘が発達し耕地に利用されている。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では高二九二石余。寛文一〇年(一六七〇)より入(いり)ノ原(はら)地内の新田開発が進められ、万治三年(一六六〇)に完成した福沢入(ふくざわいり)新田村の関藤右衛門(せきとうえもん)堰をさらに一千四一〇間ほど延長して三町歩ほどの新田を開発し、文化一五年(一八一八)の南山御蔵入領組村高帳によると、高三三一石余に増加している。化政期の家数二一(新編会津風土記)。天保一三年(一八四二)の大石組人別家数増減書上帳(中丸家文書)では家数二一、人数一三三(男六七・女六六)、男牛八で、名主は水沼(みずぬま)村名主蔵右衛門が兼帯している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by