大森宗勲(読み)おおもり・そうくん

朝日日本歴史人物事典 「大森宗勲」の解説

大森宗勲

没年:寛永2(1625)
生年:元亀1(1570)
安土桃山・江戸初期の一節切尺八中興の祖。岫庵と号する。楠木正成の首を討った伊予(愛媛県)の武将大森彦七の後裔。織田信長に仕えたが,信長没後は隠棲し,一節切尺八の研究に専念した。楽器の製作にも秀で,後陽成天皇の命により5本の銘管を製作,献上した。そのうちの1本が,「霊音」銘のある旧紀州徳川家蔵のものであるといわれている。また,名演奏ぶりを物語る逸話も多く残る。宗勲の著『宗左流尺八手数并唱歌目録』(「短笛秘伝譜」写本)には慶長13(1680)年の奥書があり,年記のあるものとしては最古の現存する一節切譜である。これにより,一節切尺八を一般人に広めた功績は,大きく評価されている。

(志村哲)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大森宗勲」の意味・わかりやすい解説

大森宗勲
おおもりそうくん

[生]元亀1(1570)
[没]寛永2(1625)
安土桃山~江戸時代前期の一節切 (ひとよぎり) の名手。宗君とも書く。織田信長の臣だったが,信長の死後隠遁の身となり,宗左流 (宗君流ともいう) の一節切に没頭。一節切の音楽を芸術的に高め,譜を著わして,狭い隠者的世界のものだった一節切を一般に広め,同流の中興の祖といわれる。その著『短笛秘伝譜』 (写本,1608) は現存最古の一節切の譜。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大森宗勲」の解説

大森宗勲 おおもり-そうくん

1570-1625 織豊-江戸時代前期の尺八奏者。
永禄(えいろく)13年3月15日生まれ。織田信長につかえた。一節切(ひとよぎり)尺八の名手。尺八製作にもすぐれ,後陽成天皇の命令で5管の銘器をつくり献上した。楽譜の「宗左流尺八手数並唱歌之目録」をあらわし,一節切尺八の普及につとめた。寛永2年4月10日死去。56歳。本姓は平(たいら)。号は岫庵(しゅうあん),策翁。

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367日誕生日大事典 「大森宗勲」の解説

大森宗勲 (おおもりそうくん)

生年月日:1570年3月15日
安土桃山時代;江戸時代前期の一節切尺八中興の祖
1625年没

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