大榎並村(読み)おえなみむら

日本歴史地名大系 「大榎並村」の解説

大榎並村
おえなみむら

[現在地名]三原町榎列大榎列えなみおえなみ

小榎並こえなみ村の北にあり、東部を円行寺えんぎようじ川が北流する。対岸下八太しもはだ村。なか街道がほぼ南北に通る。正保国絵図に村名がみえ、高九二六石余。天保郷帳では高九八一石余。反別戸数取調書によると反別一〇二町、高一千五一五石余、うち蔵入高三七三石余・給知高一千三二石余。給人は津田監物ら二七人。ほかに小榎並村八幡宮領五斗余があった。家数一三八・人数七三三。水利として円行寺川井手(享保六年「諭鶴羽河内水論裁定書」三原郡史)粟井あわいの淵などの湧水がある(味地草)。榎並組に所属し、明暦二年(一六五六)以降御留野であった(三原郡史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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