大沢館跡(読み)おおさわたてあと

日本歴史地名大系 「大沢館跡」の解説

大沢館跡
おおさわたてあと

[現在地名]山田町大沢

大沢の北方、大沢山の支脈の先端にできた台地の上にある。基部は空堀で切られ、副郭・主郭と続く。主郭の先は一段低く二の郭があり、一部に帯郭をめぐらし、先端は崖になり、わずかに削平されて八幡神社が祀られている。館主は大沢氏。大沢氏は閉伊氏の一族で、鎌倉時代中期に分立。弘安八年(一二八五)正月二三日の北条貞時袖判下文(遠野南部文書)に「(閉カ)伊地壱戸主事、閉伊三郎左衛門十郎可令領知」とある。この三郎左衛門十郎が大沢氏の祖と考えられる。その後大沢氏は閉伊一門の例にならって大沢川流域を開いて牧野の経営に当たっていたが、建武元年(一三三四)大沢牧が隣村山田村の土豪山田六郎のために狼藉されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 去就 消息

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

大寒の用語解説を読む