日本歴史地名大系 「大沼新田村」の解説 大沼新田村おおぬましんでんむら 山形県:飽海郡松山町大沼新田村[現在地名]松山町大沼新田山寺(やまでら)村の南東にあり、西は最上川を境に連枝興屋(れんしこうや)村(現東田川郡余目町)。最上川の三日月湖の大沼を埋立て新田に開発したといわれる。慶安二年(一六四九)の松山分知割渡目録(飽海郡誌)に村名がみえ、高三四石余。天保一五年(一八四四)には免二ツ、家数一五(「高辻并留」松山町郷土資料館蔵)。寛延元年(一七四八)最上川の洪水防止のため新川の開削計画が出されたとき当村は臼(うす)ヶ沢(さわ)村・小出(こいで)村とともに田畑が新川敷になるため反対したが、工事は実施された。その後、最上川の流路が変わるたびに、古川敷の権利をめぐり対岸の沢新田(さわしんでん)村(現余目町)と争論を繰返した(「取替証文」松山藩史料)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by