最上川(読み)モガミガワ

デジタル大辞泉 「最上川」の意味・読み・例文・類語

もがみ‐がわ〔‐がは〕【最上川】

山形県を貫流する川。吾妻山群に源を発し、米沢山形新庄各盆地を北流し、庄内平野酒田市日本海に注ぐ。長さ約229キロ。富士川球磨川と並ぶ日本三急流の一。古くから舟運が盛ん。

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共同通信ニュース用語解説 「最上川」の解説

最上川

球磨川や富士川と並ぶ日本三大急流の一つ。山形、福島県境の西吾妻山を水源とし、庄内平野を通って酒田港から日本海に注ぐ1級河川。国土交通省によると、長さ229キロで、流域面積7040平方キロは山形県全体の面積の約75%を占める。急流が多く、舟で下る際に難所が続くことから、松尾芭蕉まつお・ばしょうが「奥の細道」で「五月雨をあつめて早し最上川」との名句を残した。

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精選版 日本国語大辞典 「最上川」の意味・読み・例文・類語

もがみ‐がわ‥がは【最上川】

  1. 山形県を流れる川。福島県境の吾妻山に発し、米沢・山形・新庄の各盆地を流れて酒田市で日本海に注ぐ。古くから舟運に利用された。上流部は電源地帯。日本三急流の一つ。米沢盆地では松川と呼ばれる。全長二二九キロメートル。
    1. [初出の実例]「五月雨をあつめて早し最上川」(出典:俳諧・奥の細道(1693‐94頃)最上川)

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日本歴史地名大系 「最上川」の解説

最上川
もがみがわ

山形県南端、吾妻あづま山北面に源を発し、内陸の米沢・長井・山形・新庄の各盆地を貫流、それらの盆地内のすべての河川を合せて庄内平野に入り、同平野をほぼ北西流して酒田市で日本海に流入する一級河川。県内全域を貫流して、しかも本流および水系の全流域が山形県内だけに属する。すなわち一県一河で、まさに山形県の母なる川と称されるゆえんである。本流の長さは二二四・四キロで全国第八位、支流を合せた総延長は二五七〇キロで全国第七位と、わが国屈指の大河である。流域面積は七〇四二・六平方キロで、県総面積の約七六パーセントを占め、東北地方では北上きたかみ川に次いで第二位、全国では第九位である。年平均流量は毎秒三五六トンで全国第三位、流域の山々への多量の降雪が豊かな水量をもたらしている。古代以来、水田の用水源となり舟運の便をもたらし、また現代の多目的ダムなどにいたるまで、県民の生活に裨益したことは甚大であった。

吾妻山地の北斜面の渓水は最上川本流であるまつ川をはじめ大樽おおたる川・小樽こたる川を合せた鬼面おもの川などによって米沢盆地に流下し、これら諸河川を集めた最上川は同盆地北辺において屋代やしろ川を合せて西流し、長井盆地へと入る。長井盆地では飯豊いいで山より流下するしら川、朝日あさひ岳南東部を流下した(置賜野川)などを合せ、五百いも川峡谷を北流して村山地方に入るが、白川との合流点より上流部では一般に松川と称されている。五百川峡谷で朝日川・月布つきぬの川などの渓流を合せ、西村山郡大江おおえ左沢あてらざわで東方に流れを変え、東村山郡中山なかやま長崎ながさき付近から再び北流する。奥羽山脈西面を流下した川が、高瀬たかせ川を合せた馬見まみさき(合流点下流では白川ともいう)立谷たちや川などを合せ中山町東部で本流に合流する。また朝日岳・月山より流下して東流する寒河江さがえ川が寒河江市北東部で合流、そのほか村山地方では奥羽山脈西面の押切おしきり川を合せるみだれ川、野川(村山野川)丹生にゆう川などを合せる。さらに新庄盆地に入っては最上小国もがみおぐに川・さけ川・銅山どうざん川などを合せ、最上川が先行谷を形成した最上峡(山内ともいう)によって出羽山地を横断して庄内平野へと出る。庄内平野に入っては月山の北東面の渓水を集めた立谷沢たちやざわ川が合流するが、そのほかでは京田きようでん川や相沢あいざわ川などわずかの支流を合せるにすぎない。酒田市の河口付近でかつてはあか川が合流していたが、昭和一一年(一九三六)の放水路工事によって赤川は独立河川となり、直接日本海に注ぐようになった。赤川が独立河川となる以前は、わずかに置賜おきたま地方の小国盆地を流れるあら川や庄内地方の一部の河川を除く、現山形県域のほとんどの河川が最上川水系に属していた。

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改訂新版 世界大百科事典 「最上川」の意味・わかりやすい解説

最上川 (もがみがわ)

山形県を貫流する川。福島県境の吾妻火山に源を発し,米沢,長井,山形,新庄の4盆地を貫流し,出羽山地を最上峡で横切って庄内平野に出て,酒田市南西部で日本海に注ぐ。幹川流路延長は229kmで,山形県内だけを流れる。全流域面積は7040km2で県総面積の約75%を占め,上流域に多雪山地を有するため豊かな水量をもたらし,日本三大急流の一つといわれる。地形的には上流から長井盆地と山形盆地の間に五百川(いもがわ)峡,山形盆地と新庄盆地の間に碁点(ごてん),三ヶ瀬(みかのせ),隼(はやぶさ)のいわゆる三難所,新庄盆地と庄内平野の間に最上峡の峡谷をつくり,それぞれの盆地,平野を結んでいる。その間に白川,寒河江(さがえ)川,丹生(にゆう)川,小国(おぐに)川,鮭川,立谷沢(たちやざわ)川などの支流を合流し,盆地ごとに沖積地を形成している。

 古くから水運に利用されたが,奥羽本線や陸羽西線の開通で水運は衰退した。水運に代わって最上川は10万haの水田を潤す農業用水源として,また上水道や工業用水の水源として重要な役割を担うことになった。発電用としても支流の上流部を中心に約20ヵ所の発電所が設置され,合わせて最大出力約20万kWの発電を行っている。さらに最近では沿岸の河川緑地や公園の整備も進み,最上峡の舟下りをはじめ観光の対象としても利用されている。また最上川は《古今集》に〈最上川のぼれば下るいな舟のいなにはあらず此月ばかり〉とあるのをはじめ,歌枕としてその後多くの歌人にうたわれており,《おくのほそ道》の芭蕉や歌人斎藤茂吉などとのかかわりも深い。日本の代表的舟唄《最上川舟唄》でも知られる。
執筆者:

《延喜式》の駅制によれば,野尻(現,大石田町駒籠),避翼(さるはね)(現,舟形町長者原),佐芸(さけ)(現,鮭川村佐渡真木)の間に伝馬と舟が置かれたとあり,古代から航行に利用されたことが知られる。室町初期に成立した《義経記》の中でも,北国落ちの源義経が,清川(現,庄内町)から合海(あいかい)(現,新庄市本合海)まで川船で上る様子が記され,当時の水運の利用が推測される。戦国期になると,酒田~清水(現,大蔵村)間の船路が開発・整備された。大石田が河港として画期的な発達をみるのは,山形の最上氏が1600年(慶長5)の出羽合戦で,村山,最上と庄内も領有するようになってからである。慶長末年には山形の外港として,最上川支流の須川にある船町も立てられた。上流は左沢(あてらざわ)(現,大江町)が終点とされたが,94年(元禄7)米沢の御用商人西村久左衛門らの開削によって置賜(おきたま)盆地にも通じるようになった。清水,大石田,船町が最上川の三河岸として早くから特権を維持したが,享保年間(1716-36)に寺津(現,天童市),本楯(もとだて)(現,寒河江市)が新しく河岸として認められた。最上川の川船の大部分は,酒田船と大石田船を中心とする最上船に分けられ,いずれも商人所有の町船である。中期以後,米沢藩,新庄藩,佐倉藩の御手船もあらわれた。川船は250俵積みを標準とする艜船(ひらたぶね)で,大小があり,元禄年間には酒田船が360艘,大石田船が292艘にのぼった。しかし中期以後はしだいに減少した。最上川の輸送物資は,下り荷の大部分は米で,天領の城米,各藩の蔵米が多く,商人の米,雑穀を含めて多いときは50万俵前後にも達した。このほか特産物の紅花,青苧(あおそ),漆,蠟なども下し,これらは酒田港から京,大坂の上方方面に出されたが,その帰り荷として,塩,木綿,茶,小間物,乾魚などが運ばれた。支流では小型の小鵜飼船が使われたが,幕末になるとこれが本流にも進出し,また寺津と船町の間で荷物の争奪が起こるなど,水運の慣行が乱れてきた。

 1872年(明治5)幕藩制的舟運制度が廃止され,大小船の就航が自由となり,河岸の新設も認められた。蔵米の輸送もなくなったので,川船は小型化し,小鵜飼船が主流となった。明治10年代には山形,酒田および長崎に事務所を置く回漕会社や乗船常便社が設立された。酒田~糠野目(現,高畠町)間の川蒸気船の運行の計画もあったが実現せず,清川~大石田間にとどまった。1900年代の鉄道の開通によって,水運は急速に衰えた。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「最上川」の意味・わかりやすい解説

最上川【もがみがわ】

山形県を貫流する川。長さ229km,流域面積は7040km2で,県面積の80%を占める。福島県境の吾妻山北部に発した松川が米沢盆地で鬼面(おもの)川,梓(あずさ)川,長井盆地で白川,野川などを合して最上川となり,山形,新庄両盆地を経,庄内平野を形成して酒田で日本海に注ぐ。古くから歌名所として知られ,平安時代から舟運に利用され,近世には流域の米やベニバナが酒田へ送られ,酒田からは大坂からの物資が山形,米沢まで運ばれた。多くの河港が発達,酒田,大石田が特に繁栄した。またサケ・アユなどの川漁も盛んで,庄内地方では漁法も多様であった。鉄道開通後舟運は衰微。流域は古来水害,冷害が多かったが,最上特定総合開発地域に指定され,灌漑(かんがい),発電に利用されている。
→関連項目朝日[町]大石田[町]大蔵[村]河北[町]川西[町]寒河江[市]白鷹[町]新庄[市]新庄盆地瀬見[温泉]立川[町]長井[市]長瀞(山形県)中山[町]舟形[町]松山[町]真室川[町]最上[町]山形[県]山形藩山形盆地陸羽西線

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「最上川」の意味・わかりやすい解説

最上川
もがみがわ

山形・福島県境の吾妻火山(あづまかざん)に源を発し、山形県内を貫流し庄内平野(しょうないへいや)で日本海に注ぐわが国有数の大河。一級河川。幹線流路延長229キロメートル。源流は松川という。吾妻火山を流下してほぼ北流、米沢(よねざわ)、山形、新庄(しんじょう)の各盆地を貫流し、新庄盆地で向きを西に変え、最上峡をつくって出羽(でわ)山地を横切り、庄内平野に出て酒田市南部で日本海に流入する。流域面積7040平方キロメートルは県総面積の約75%を占め、しかも山形県内だけを流れる「一県一河川」であり、県内の主要都市のほとんどが沿岸に立地する。北から白川(置賜白(おきたましら)川)、寒河江(さがえ)川、須(す)川、丹生(にう)川、小国(おぐに)川、鮭(さけ)川、立谷(たちや)川などの支流をあわせ、盆地ごとに河川の侵食、流送、堆積(たいせき)の作用を繰り返すという地形的特色を示す。上流域は多雪地で豊かな水量をもたらし、高屋(戸沢村)の年平均流量は毎秒356トンに達する。一方、上流から五百川峡(いもかわきょう)、碁点(ごてん)・三ヶ瀬(みかのせ)・隼(はやぶさ)の三難所からなる碁点峡、最上峡などがあり、最上川が富士川、球磨(くま)川とともに日本三急流の一つといわれるのは、これらの峡谷部が急流で、舟運の盛んな大河としては難所が多かったことによる。

 最上川の舟運は戦国時代に酒田―清水(しみず)(大蔵(おおくら)村)間が開発され清水河岸(かし)が置かれたのが端緒という。関ヶ原の戦い(1600)後、庄内地方を領有した最上義光(よしあき)によって三難所が開削されて急速に進展した。とくに寛永(かんえい)年間~慶安(けいあん)年間(1624~1652)にかけて川船中継権を獲得した大石田河岸(大石田町)が発達し、上り酒田船、下り大石田船という片運送の慣行も成立した。船町(ふなまち)河岸(山形市)など上流地域の最上船も含め大石田船差配役が統轄した。元禄(げんろく)年間(1688~1704)以降は上流地域の産業の隆盛や上杉藩による五百川峡上流部の黒滝の開削などで寺津(てらつ)(天童市)、本楯(もとだて)(寒河江市)、横山(大石田町)の三河岸も公認された。川船差配制が行き詰まると大石田には幕府直轄の川舟役所が設置された。おもな運送物資は、下り荷に流域各藩の蔵米、商人米、紅花、青苧(あおそ)など、上り荷は塩、塩魚、古手(ふるて)、茶、小間物などで、主として艜船(ひらたぶね)で運ばれ、後期には私船の小鵜飼(こうがい)船も活躍した。しかし明治30年代に入ると奥羽線の開通などで急速に衰退した。その後最上川は10万ヘクタールの水田を潤す農業用水源として、また上水道、工業用水として重要な役割を担うことになった。支流や上流部を中心にダム、発電所が多く設置されている。一方、最上峡舟下りの遊覧船などもあり、河川緑地、公園の整備も図られている。

 なお、最上川は歌枕(うたまくら)として多く詠まれており、とくに「最上河のぼればくだる稲舟のいなにはあらずこの月ばかり」(『古今集』東歌)は名高い。このほか、芭蕉(ばしょう)、斎藤茂吉(もきち)など文人、墨客とのかかわりも深い。

[中川 重]

『『最上川』『最上のながれ』(1982・山形県総合学術調査室)』『井上八蔵著『最上川』(1982・叢文社)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「最上川」の意味・わかりやすい解説

最上川
もがみがわ

山形県をほぼ南北に貫流する川。全長 229km。吾妻山系に源を発し,北流して米沢・山形盆地を貫流,新庄盆地で流路を西に変え,下流部に庄内平野を形成して日本海に注ぐ。支流が多く,全流域面積 (7040km2) は山形県の面積 (9323.32km2) の約4分の3を占める。川は日本三急流の1つとして知られ,五百川 (いもがわ) 峡,碁点峡,最上峡などの峡谷を形成して貫流。出羽山地を横断する区間の峡谷美をもつ流域一帯は最上川県立自然公園に指定されている。古くから中流部以下が水上交通に利用され,近世には峡谷部が開削されて舟運が栄えた。沿岸には清水,大石田,左沢 (あてらざわ) などの船着場が発達。奥羽本線が開通したのち舟運は衰退。本流に1つ,支流に多くのダムが建設され,発電,洪水防止,灌漑に利用されている。

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[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション 「最上川」の解説

もがみがわ【最上川】

山形の日本酒。酒名は、日本三大急流のひとつ、最上川に由来。「とろり五年」は5年以上熟成させた吟醸原酒を基本に本醸造原酒をブレンドしたもの。ほかに大吟醸酒純米吟醸酒、純米酒、本醸造酒など。平成16、19年度全国新酒鑑評会で金賞受賞。原料米は山田錦、五百万石、出羽燦々など。仕込み水は神室山系の伏流水。蔵元の「最上川酒造」は大正7年(1918)創業、平成21年(2009)廃業。蔵は新庄市十日町にあった。

出典 講談社[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションについて 情報

事典 日本の地域遺産 「最上川」の解説

最上川

(山形県酒田市)
美しき日本―いちどは訪れたい日本の観光遺産」指定の地域遺産。

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報

事典・日本の観光資源 「最上川」の解説

最上川

(山形県)
日本三急流」指定の観光名所。

最上川

(山形県)
日本八景」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の最上川の言及

【西廻海運】より

…すなわち,(1)廻漕船は北国海運に慣れた讃岐の塩飽(しあく)島,備前の日比浦,摂津の伝法・河辺・脇浜などの廻船を用うべきこと。(2)最上川川船の運賃はいっさい幕府の負担とし,上流船の運漕独占をやめ下流船にも運漕させる。酒田港に幕領米専用の米蔵を設け,廻船に積み込むまでの費用も幕府が支弁する。…

【山形[県]】より

…75年酒田県は鶴岡県と改称,次いで76年山形県が鶴岡・置賜両県を併合して現在に至っている。出羽国【狐塚 裕子】
[母なる川最上川と連なる山なみ]
 県域のほぼ中央部を貫流する最上川は,山形県の母なる川と呼ばれている。その流域面積は県域の76%を占め,しかも県内だけを流れる〈1県1河川〉という特徴をもつ。…

※「最上川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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