朝日日本歴史人物事典 「大津大浦」の解説
大津大浦
生年:生年不詳
奈良後期の陰陽家。代々の陰陽家の出身で,藤原仲麻呂の信任を得て吉凶を占っていたが,仲麻呂の謀反計画を知り,累のおよぶことを恐れて密告した。天平宝字8(764)年の仲麻呂の変後,一躍正七位上から従四位上を授けられ,姓を宿禰に改め,左兵衛佐兼美作守に任ぜられた。翌天平神護1(765)年3月には和気王と共に功田を賜ったが,同年8月には和気王の謀反に連座して,日向守に左遷のうえ位封を奪われ,姓はもとの連に戻された。さらに神護景雲1(767)年には現職を解任され,所持する天文陰陽などの書を官に没収された。ところが道鏡失脚ののち,宝亀1(770)年に罪を許されて帰京し,翌年には陰陽頭,同5年には安芸守を兼ねた。翌6年現職のまま,自らの持つ技術の故,奈良時代後期の政争のなかで波乱の生涯を閉じた。<参考文献>宮崎健司「大津連首について」(『尋源』40号)
(脊古真哉)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報