天武天皇の第3皇子。母は天智天皇の皇女新田部皇女。子には御原王,池田王,船王,大炊王がおり,大炊王が淳仁天皇となった759年(天平宝字3)崇道尽敬皇帝と追号された。舎人皇子とも書き,元正~聖武朝に重用され,《万葉集》に作歌がある。官位は695年(持統9)浄広弐から718年(養老2)一品に至る。719年新田部親王とともに皇太子(聖武)の輔翼を命ぜられ,内舎人2人,大舎人4人,衛士30人を賜い,封戸は2000戸に達した。翌年5月〈日本紀〉30巻系図1巻を奏上し(《日本書紀》),8月右大臣藤原不比等の没後,知太政官事となる。724年(神亀1)聖武天皇の即位に封500戸を増し,729年(天平1)左大臣長屋王の変では王の窮問にあたり,さらに光明子立后の宣命を宣した。735年9月新田部親王を弔ったが,同年11月みずからも没し,太政大臣を贈られた。鑑真来朝の結果を生む戒師招請は,親王の発議による。子孫で非業の死をとげるものも多かったが,中には清原真人となったものもあり,右大臣夏野はその一人である。
執筆者:水野 柳太郎
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(鬼頭清明)
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天武(てんむ)天皇の第三皇子。母は天智(てんじ)天皇の娘新田部(にいたべ)皇女。知太政官事(ちだいじょうかんじ)穂積(ほづみ)親王の亡きあとは皇親の長老として重んぜられ、新田部親王とともに皇太子首(おびと)親王(聖武(しょうむ)天皇)を輔翼(ほよく)する責務を負った。またこのころ右大臣藤原不比等(ふひと)の領導のもとに、律令(りつりょう)の改修(養老(ようろう)律令)や正史の編纂(へんさん)がなされたが、なかでも正史の編纂には自ら主宰者となり、720年(養老4)に至り『日本紀(にほんぎ)』30巻(日本書紀)、系図一巻を撰上(せんじょう)した。不比等亡きあと知太政官事に任ぜられ、やがて729年(天平1)に起きた長屋王の変には王の罪を糾明し、ついで光明(こうみょう)皇后の冊立(さくりつ)を宣した。第7子が淳仁(じゅんにん)天皇になると崇道尽敬(すどうじんきょう)皇帝の称号を贈られた。
[押部佳周]
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676~735.11.14
天武天皇の皇子。母は天智天皇の女新田部(にいたべ)皇女。誕生順では6番目と考えられるが,「続日本紀」は第3皇子とする。子の淳仁(じゅんにん)天皇が即位した後,759年(天平宝字3)崇道尽敬(すどうじんけい)皇帝と追尊された。8世紀前半,元正朝から聖武朝にかけて新田部親王とともに政界に重きをなし,720年(養老4)藤原不比等(ふひと)の死後,知太政官事に任じられた。また「日本書紀」編纂の中心ともなった。729年(天平元)の長屋(ながや)王の変では新田部親王とともに王の尋問にあたったが,735年,一品で没した。
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…8世紀前半期におかれた令外官。大宝令施行直後の703年(大宝3)に刑部(おさかべ)親王が任ぜられ,以後穂積(ほづみ)親王,舎人(とねり)親王をへて745年(天平17)に鈴鹿(すずか)王が没するまで,断続的に存在した。その職掌また令制官職・位階との相当関係も定かではなく,左右大臣等との関連も明らかではない。…
※「舎人親王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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