大洲城跡(読み)おおずじようあと

日本歴史地名大系 「大洲城跡」の解説

大洲城跡
おおずじようあと

[現在地名]大洲市大洲

西流するひじ川が、山間部から大洲盆地に入ってすぐ北西から北東方向に曲流する攻撃斜面の深淵に臨み、北流する久米くめ川が西側をめぐる小丘陵上にある。古くは地蔵じぞうだけ城・かめの城・大津おおつ城ともいった。宇都宮氏八代にわたる根城地蔵ヶ岳が天正一三年(一五八五)開城させられたのち、戸田・池田・藤堂・脇坂・加藤の諸氏城主となった。近世城郭として大津城が建設・整備されたのは、藤堂・脇坂両氏が城主の頃慶長年間(一五九六―一六一五)とみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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