日本歴史地名大系 「大洲城下」の解説
大洲城下
おおずじようか
〔城下の形成〕
元弘元年(一三三一)伊予国の守護職となって入部した宇都宮豊房が、喜多郡地域支配の拠点として、ここに
近世初期、大津最初の城主となったのは、宇和・喜多両郡一六万石に封ぜられた戸田勝隆であった。戸田氏の治封七年、その後文禄三年(一五九四)から一〇ヵ月間池田高祐、同四年から一三ヵ年間藤堂高虎、慶長一四年(一六〇九)から脇坂安治・安元二代八年間、元和三年(一六一七)から明治維新まで二五二年間、加藤氏一三代が相次いで城主となった。各城主の支配領域・石高は、藤堂氏が喜多・宇和両郡で七万石、脇坂氏が喜多・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報