大浜信賢(読み)オオハマ シンケン

20世紀日本人名事典 「大浜信賢」の解説

大浜 信賢
オオハマ シンケン

昭和期の医師,政治家 沖縄立法院議員。 マラリアを媒介するオオハママダラカの発見者。



生年
明治37(1904)年8月21日

没年
昭和47(1972)年8月22日

出生地
沖縄県八重山

別名
筆名=佐久間之守(サクマノカミ)

学歴〔年〕
台北医学専門学校卒

学位〔年〕
医学博士〔昭和17年〕

主な受賞名〔年〕
石垣市自治功労賞〔昭和42年〕

経歴
台湾の病院に勤務し、昭和6年に帰郷して開業。その傍らマラリアや寄生虫に関する研究に従事し、17年医学博士。戦後、21年に八重山民政府衛生部長となってマラリア撲滅運動を進め、八重山群島におけるマラリア根絶に貢献。また、その間の研究でマラリアを媒介する新種の蚊を発見し、これをオオハママダラカと名付けた。一方、政界でも活動し、石垣町会議員や八重山郡会議員などを歴任。23年八重山民主党の結成に参加し、遊説部長や副総裁となった。のち同党が沖縄社会大衆党に合流すると、同八重山支部結成のために奔走。33年には沖縄立法院選挙に出馬して当選、一期を務めた。晩年は八重山の郷土史研究に従事。著書に「八重山のマラリア撲滅」「八重山の人頭税」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大浜信賢」の解説

大浜信賢 おおはま-しんけん

1904-1972 昭和時代の医師。
明治37年8月21日生まれ。戦後沖縄の八重山民政府衛生部長となり,マラリア撲滅事業を推進。マラリアを媒介するオオハマハマダラカを発見,命名した。昭和47年8月22日死去。68歳。沖縄県出身。台北医専卒。著作に「八重山のマラリア撲滅」「八重山の人頭税」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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