日本歴史地名大系 「大浦町」の解説
大浦町
おおうらまち
長崎湊のうちにあるため、出入りする船に関連することが多く記録される。元禄六年(一六九三)三月大村領内に流れた唐船の船具を
大浦町
おおうらちよう
大浦町
おおうらまち
三の郭の堀に沿って南北に町並が延び、北は
「奥富士物語」に、慶長一五年(一六一〇)の弘前城築城と町割に際し、城内三の丸に大浦町があり、「中身已上之面々」が居住したとある。正保三年(一六四六)の津軽弘前城之絵図(内閣文庫蔵)によれば、現町域は町屋として町割されており、三の丸のどの地域が大浦町であったかは不明。慶安二年(一六四九)の弘前古御絵図(市立弘前図書館蔵)には、大浦橋を境として、南が大浦町、北が
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報