大渡野村(読み)おおわたのむら

日本歴史地名大系 「大渡野村」の解説

大渡野村
おおわたのむら

[現在地名]諫早市上大渡野町かみおおわたのまち下大渡野町しもおおわたのまち本野町もとのちよう

湯尾ゆのお村の西に位置し、本明ほんみよう川右岸に位置する。支流の西谷にしたに川が流れる。南部の風観ふうかん岳の頂上部に支石墓群があり、また古代の烽火台の遺構巨石が残っている。大村境のひらきつじに享禄五年(一五三二)銘の六地蔵石幢があり、また西郷氏が築いたという尾和谷おわたに(大渡野城・開城とも)がある。その一帯では水回りが悪かったため、本明川の赤水落に取水口を設けるなど大規模な灌漑を行い、開田も広がったとされる。元亀―天正年間(一五七〇―九二)の頃西郷純尭の部将尾和谷軍兵衛が在城していたが、純尭が肥前武雄たけおの後藤貴明、平戸松浦鎮信とともに大村純忠を攻めた際に討死したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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