大田保
おおだほ
茨木市東部、安威川流域にあった造酒司領。島下郡に属し、近世の太田村を中心として一部に耳原村をも含んだ(勝尾寺文書)。「山槐記」応保元年(一一六一)一二月二六日条に「造酒司申、摂津国大田保為奈佐原□□妨事」とあるのが早く、東接する新熊野社(現京都市東山区)領島上郡奈佐原庄(現高槻市)より押妨を受け国司に訴えたが、その沙汰がない間に再度の押妨にみまわれている。造酒司領大田保は諸寮司に割当てた官田の一つで、宮中での諸行事などに供される酒や酢の原料となる米を負担していた。成立は不明であるが、他の諸寮司田の成立からみて九世紀末頃と考えられ、また造酒司領の保が置かれたのは、令制下に摂津国に二五戸設けられた酒戸(令義解)のいくつかが当地にあったことによるのではないかと推定される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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