日本歴史地名大系 「大町通」の解説 大町通おおまちどおり 福島県:会津若松市若松城下大町通[現在地名]会津若松市城南町(じようなんまち)・追手町(おうてまち)・東栄町(ひがしさかえまち)・米代(よねだい)一―二丁目・山鹿町(やまがまち)・西栄町(にしさかえまち)・中町(なかまち)甲賀町(こうかまち)通の西に並び、南は南町(みなみまち)口郭門から北は五之(ごの)丁で少し西に折れ、大町口郭門に至る。郭内の南北通りとしては長さは最長で、一一町四三間余・幅八間。家数は化政期には二で、他は東西丁に属していたが、この通りは大通りなので、こちらに入口を開く家も多かった(新編会津風土記)。現在は国道一二一号となる。南町口郭門の外堀跡は今でも東側だけ残り、往時をしのばせる十八蔵(じゆうはちぐら)橋がある。この通りはここから城の西出丸堀の西を通るが、通りの東側に藩校日新(につしん)館があり、本一之(ほんいちの)丁南東角は割場(わりば)とよばれ、本二之丁南東角に寛文一一年(一六七一)会所(諸役所)が置かれた(家世実紀)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by