大皆坂村(読み)おおかいざかむら

日本歴史地名大系 「大皆坂村」の解説

大皆坂村
おおかいざかむら

[現在地名]上郡町八保やほ

村・おか村の西に位置する。地元では「おかいざか」ともいう。備前和気わけ郡へ抜ける山伏やまぶし峠に至る山道のなかほどに集落があり、どこへ出るにも坂越えしなければならない山間集落。江戸時代の領主変遷井上いのかみ村に同じ。正保郷帳に村名がみえ、田高四七石余・畠高一五石余。天保郷帳では高七〇石余。天保七年(一八三六)の上郡組家数人数総寄目録(西脇家文書)によれば、家数四三・人数一三二、牛一〇。明治四年(一八七一)の村明細帳(藤本家文書)によれば、反別田方四町四反余・畑方二町七反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む