日本歴史地名大系 「大篠岡村」の解説 大篠岡村おおしのかむら 兵庫県:豊岡市大篠岡村[現在地名]豊岡市大篠岡木内(きなし)村の北と東を村域とし、三開(みひらき)山の北麓に位置する。東は半坂(はんざか)峠越しに出石(いずし)郡三宅(みやけ)村。篠岡(しのか)とも称した。延文三年(一三五八)一二月日の伊達朝綱軍忠状(伊達家文書)に「篠岡御陣」とみえる(→三開山城跡)。明応二年(一四九三)五月一六日、山名俊豊は備後の山内刑部四郎通久に宛て、但馬での活躍の恩賞として「但馬国城崎郡篠岡庄之内篠岡長門守跡」などを宛行っており(「山名俊豊判物」山内首藤家文書)、篠岡庄を本拠とする国人篠岡長門守がいた。江戸時代の領主の変遷は駄坂(ださか)村に同じ。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by