大義寺跡(読み)だいぎじあと

日本歴史地名大系 「大義寺跡」の解説

大義寺跡
だいぎじあと

[現在地名]塩沢町南田中 井出川

南田中みなみたなか集落の東、字井出川いでがわにあった。現在観音堂とその境内に石仏が並ぶ。臨済宗で渡江山と号した。伝えによると、応永一一年(一四〇四)上野国泉龍せんりゆう(現群馬県伊勢崎市)の白崖が当寺で講筵を開いたという。長享二年(一四八八)一〇月五日、僧万里集九は木録きろく(大木六)から「上田之大義寺之方丈」に到着。関東管領上杉顕定の命により警固のため同伴した尻高孫次郎の須賀谷すがや(現埼玉県比企郡嵐山町)への帰還を見送った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む