大義寺跡(読み)だいぎじあと

日本歴史地名大系 「大義寺跡」の解説

大義寺跡
だいぎじあと

[現在地名]塩沢町南田中 井出川

南田中みなみたなか集落の東、字井出川いでがわにあった。現在観音堂とその境内に石仏が並ぶ。臨済宗で渡江山と号した。伝えによると、応永一一年(一四〇四)上野国泉龍せんりゆう(現群馬県伊勢崎市)の白崖が当寺で講筵を開いたという。長享二年(一四八八)一〇月五日、僧万里集九は木録きろく(大木六)から「上田之大義寺之方丈」に到着。関東管領上杉顕定の命により警固のため同伴した尻高孫次郎の須賀谷すがや(現埼玉県比企郡嵐山町)への帰還を見送った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android