大舟木村(読み)おおふなぎむら

日本歴史地名大系 「大舟木村」の解説

大舟木村
おおふなぎむら

[現在地名]朝日町大舟木

最上川左岸にあり、南は今平こんぺい村、対岸杉山すぎやま村。天保郷帳には大船木村とある。正保郷帳によれば田方六一石余・畑方五三石余。慶安二年(一六四九)より松山藩領。西五百川にしいもがわ松程まつほど組に属し、松山藩領と米沢藩領の境に位置するため口留番所が置かれた。正徳三年(一七一三)願書(佐竹文書)によれば、番人は薪一俵を持参して勤め、雪菰・下敷莚・柵木などを村で負担していた。天明七年(一七八七)の松山藩左沢領村々大概書(松山町教育委員会蔵)に大船木村とあり、高一一九石余、田三町余・畑三町六反余で、谷間の水を引き灌漑したが、旱損所であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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