朝日日本歴史人物事典 「大谷光勝」の解説
大谷光勝
生年:文化14.3.7(1817.4.22)
幕末明治期の真宗の僧。東本願寺21世で,北海道開教を積極的に進めたことで有名。京都生まれ。東本願寺20世達如と家女房玉浦(梅ノ井)の子。文政11(1828)年に得度,諱を朗澄,法名を達住と名乗ったが,天保12(1841)年兄の宝如が死去したため,東願本寺の法嗣となり諱を光勝,法名を厳如と改めた。弘化3(1846)年,父達如の隠退により東本願寺の法灯を継ぎ,幕末の尊皇派と佐幕派が相拮抗する難局を乗り切った。明治に入ると維新政府に接近し,幾度かの献金要請にも応じたが,政府のとった仏教政策である大教院体制には反対し,真宗の統一管長職に就いて,真宗の大教院からの分離独立を実現した。また,幕末に焼失していた東本願寺両堂の再建にも意欲を示し,明治12(1879)年に両堂再建の書立を全国の門末に発布して,これを推進したが,その落成は次代に持ち越された。この間,同5年には伯爵に列し,同18年には門跡号を復している。北海道の開教に力を尽くしたことも有名で,安政5(1858)年には箱館にあった浄玄寺を御坊に取り立てて本格的に開教を開始し,明治2年には維新政府の求めに応じて,新道の開設を中心とした開拓事業にも着手,翌年長男光塋(現如)を派遣して事業推進を図った。<参考文献>奥野研寿『厳如上人御一代記』,奈良本達也・百瀬明治『明治維新の東本願寺』
(草野顕之)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報