大里峠(読み)おおりとうげ

日本歴史地名大系 「大里峠」の解説

大里峠
おおりとうげ

小国町玉川たまがわと新潟県岩船いわふね関川せきかわはたを結び、標高は四八七メートル、尾折とも記す。近世越後街道が通る羽越国境の峠で、米沢藩の藩境でもあった。大永元年(一五二一)伊達稙宗が開削したと伝え、以後、越後街道の道筋が定まったとされる。文禄(一五九二―九六)頃の越後国瀬波郡絵図(市立米沢図書館蔵)には「おゝりがたうげ」とみえ、堂一宇が描かれ、ぬま(現関川村)より一〇里と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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