日本大百科全書(ニッポニカ) 「ナウマンゾウ」の意味・わかりやすい解説
ナウマンゾウ
なうまんぞう
Naumann's elephant
[学] Palaeoloxodon naumanni (MAKIYAMA)
日本の代表的な化石ゾウ。骨や歯の化石は広く分布しており、北海道から九州、沖縄の各地で出土していて、陸上ばかりでなく、瀬戸内海、日本海南部や東海地方沿岸の海底からも産出が知られている。また、東シナ海、黄海(こうかい)、台湾海峡の海底、さらに台湾や中国北・中部の陸域からも発見が報告されている。
日本では、古くから瀬戸内海の海底から骨や歯が漁網にかかって引き上げられていたが、中国伝来の本草学(ほんぞうがく)の知識から、それらは「竜骨」とよばれ、薬に用いられていた。そのような日本の竜骨のいくつかを、初めてゾウの化石として1882年(明治15)に記載したのは、明治初年に東京大学の教授に招聘(しょうへい)されたドイツの地質学者E・ナウマンであった。その後、1921年になって、浜名湖東岸の静岡県浜松市佐浜町で崖土を工事のため採掘中に、ほぼ1体分のゾウの化石骨が出土した。それらを研究した京都大学の槇山次郎(まきやまじろう)(1896―1986)は、臼歯(きゅうし)のついた下顎骨(かがくこつ)、2個の上顎臼歯と牙(きば)を模式標本(タイプ)として論文を発表した。そこでは、インドで化石ゾウとして知られていたナルバダゾウの亜種として扱い、ナウマンの功績を記念して亜種名として「ナウマンゾウ」の名前を与えたが、その後の研究で、ナウマンゾウはナルバダゾウの亜種ではなく、独立した種として扱われることとなった。種としてのナウマンゾウは、現生のエレファスゾウであるアフリカゾウのロクソドンタ属、アジアゾウのエレファス属や、マンモスゾウ(化石ゾウ)のマムーサス属とは異なり、パレオロクソドン属という別グループのゾウとして区別されている。
[亀井節夫]
ナウマンゾウのかたち
ナウマンゾウの骨や歯の化石は、日本列島の各地から知られているが、次にあげる数箇所からはほぼ全身の骨格が発掘されている。北海道中川郡幕別(まくべつ)町(北海道博物館および忠類ナウマン象記念館などに展示)、千葉県印西(いんざい)市(国立科学博物館などに展示)、東京都中央区日本橋浜町(東京都高尾自然科学博物館などに展示)、神奈川県藤沢市渡内(わたうち)天岳院下(神奈川県立生命の星・地球博物館および千葉県立中央博物館などに展示)。さらに、千葉県成田(なりた)市猿山や長野県上水内(かみみのち)郡信濃(しなの)町の野尻湖底遺跡で発掘された頭骨の化石は、ナウマンゾウの全体像や雌雄による形態の違いを明らかにする重要な手掛りを与えた。
それらの骨格からは、ナウマンゾウは肩の高さが1.9~2.7メートルで、ゾウとしては中・小形のものであり、背中の形は、肩の部分がもっとも高くて、次に腰の部分が高く、アフリカゾウに似た形をしていたことがわかった。また、胸郭にみられる湾曲の程度は、前の部分と後ろの部分とでは差が少ないずんぐりした体型をしていた。前足と後ろ足との比率は現生のゾウたちと同様ではあるが、四肢骨(ししこつ)の末端部は短くて幅が広く、上腕骨、脛骨(けいこつ)、腓骨(ひこつ)が太くたくましく、それらの四肢を使って活発に運動していたことがわかる。頭の形には雌雄によって違いがあるが、頂部が横に広く、その前面がふくらみ、鼻は長かった。下顎も頑丈で特徴のある形をしていた。牙は長くて、2メートルを超すものもあり、左右に大きく開き、下外方に向かって湾曲しながら伸びており、先端は内側上方にねじれるという特徴ある形のものである。臼歯の構造に独特の性質がみられ、その形に特徴がある。なお、長野県の野尻湖や大阪市住吉区や平野区では足跡の化石が発見されている。
[亀井節夫]
渡来と絶滅
日本列島で現在みられる哺乳(ほにゅう)動物には、古い地層時代にアジア大陸から渡ってきて、そのまま住みついて日本の地に特有なものとして固有化したものが多い。ナウマンゾウもそれらと同様に、古い時代に渡来したもので、化石を産出する地層の年代からは、約30万年前ごろに中国中部から陸伝いにやってきたと推測される。それまで日本列島に広く分布していたのは、ステゴドンゾウの仲間で日本列島固有のアケボノゾウであったが、そのアケボノゾウが滅び、そのかわりに中国南部からステゴドンゾウの仲間のトウヨウゾウが新しく渡来した。そのトウヨウゾウよりもやや後に日本列島の新しいゾウとして登場することとなったのがナウマンゾウである。ナウマンゾウの化石がもっとも多く発見されているのは約12万年前ころの地層で、氷河時代の最後の間氷期にあたり、温暖化に伴う海水面の上昇によって日本列島が孤立化した時期のものである。このように、暖温帯の森林生活者であったナウマンゾウは、その後の寒冷な気候が卓越する最終氷期にも日本列島で生き残っていて、陸続きに北方から新しく渡来したオオツノシカやヘラジカなどと共存していた。環境の変化に伴い、寒冷地域に適応して大形となり、体毛も長く伸び、皮下脂肪も発達したと推定される。ナウマンゾウの化石は北海道網走(あばしり)地方の湧別(ゆうべつ)にある約2万年前の地層からも発見されている。日本列島からは、最終氷期の最大寒冷期(約2万年前)以前には姿を消しているが、それには人類の狩猟活動の発展が大きく影響したと考えられている。野尻湖の発掘では、ナウマンゾウの化石骨に伴い旧石器が多く発掘されていて、人類との共存が知られている。ここでは、ナウマンゾウとオオツノシカの骨や角を加工した骨角器も発掘されている。
[亀井節夫]
『日本化石集編集委員会編『日本化石集 第28集――日本のナウマン象化石』(1987・築地書館)』▽『井尻正二・犬塚則久著『絶滅した日本の巨獣』(1989・築地書館)』▽『亀井節夫編著『日本の長鼻類化石』(1991・築地書館)』▽『野尻湖発掘調査団編著『最終氷期の自然と人類』(1997・共立出版)』▽『小野昭著『打製骨器論』(2001・東京大学出版会)』▽『亀井節夫著『象のきた道』(中公新書)』▽『亀井節夫著『日本に象がいたころ』(岩波新書)』