大関増栄(読み)おおぜき ますなが

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大関増栄」の解説

大関増栄 おおぜき-ますなが

1639-1689* 江戸時代前期の大名
寛永16年生まれ。大関高増次男。兄増親の養子となり,寛文2年下野(しもつけ)(栃木県)黒羽(くろばね)藩主大関家5代。大坂加番,馳走(ちそう)役などをつとめた。元禄(げんろく)元年12月13日死去。50歳。幼名は亀千代。通称は与六郎,主馬

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の大関増栄の言及

【黒羽藩】より

…下野国(栃木県)那須郡黒羽に藩庁をおく外様小藩。藩主は大関氏。大関氏は中世以来の北関東の名家那須氏に仕える有力国人層の出自。大関高増・晴増父子は豊臣秀吉の小田原征伐のとき,いちはやく秀吉に参謁し,本領地1万3000石が安堵された。その後,加増・分知の変動があったが,1664年(寛文4)には藩主増栄(ますなが)に1万8000石の朱印状が交付された。藩政の確立は寛文検地を基礎にした増栄の治世期に推進されたが,鹿子畑(かのこばた)左内の登用,65年の金丸・松本・津田ら最有力家臣の黒羽退去,左内の失脚,給人29人の血盟徒党などの混乱が続き,ために兵農分離と石高制の実現,給人地方知行制の廃止は,それからなお20年をまたなければならなかった。…

※「大関増栄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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