大阪興正寺別院跡(読み)おおさかこうしようじべついんあと

日本歴史地名大系 「大阪興正寺別院跡」の解説

大阪興正寺別院跡
おおさかこうしようじべついんあと

[現在地名]北区天満四丁目

大阪天満(おおさかてんまん)宮南東にあったが、昭和四〇年(一九六五)旭区に移転し、跡地は滝川(たきがわ)公園になっている。真宗興正派、本尊阿弥陀如来。俗に天満興正寺御坊・興門・産(うぶ)寺と称された。

「大谷本願寺通紀」に興正寺の別坊として、天文元年(一五三二)「本山大坂ニ遷ル、第二世蓮秀、亦寺基ヲ天満ニ移ス」とある。この年山科(やましな)本願寺(跡地は現京都市山科区)は法華宗徒の焼打ちに遭い、寺基を大坂坊舎(石山本願寺、跡地は現東区)へ移し、興正寺蓮秀も天満(てんま)に移ったというので、興正寺の布教の拠点である掛所がすでに当地にあったと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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