長野県中央部,小県(ちいさがた)郡の町。2005年10月長門(ながと)町と和田(わだ)村が合体して成立した。人口6780(2010)。
長和町東部の旧町。小県郡所属。人口5220(2000)。町域の大半は霧ヶ峰北東麓の広大なすそ野で,千曲川の支流依田川の扇状地にわずかに水田が広がる。中心集落の長久保は江戸時代に中山道の宿駅としてにぎわったが,明治中期の信越本線開通後は沿線からはずれたためさびれた。農業が主産業であるが,かつての稲作・養蚕中心から,高原野菜・花卉栽培,畜産などに移行し,エノキダケ,シイタケの栽培も増加している。国道142号,254号線が通じ,上田市,小諸市への通勤者も多い。南端の姫木平周辺では別荘地,スキー場,ペンションなどの開発が進み,一大リゾート地となっている。
長和町西部の旧村。小県郡所属。人口2587(2000)。千曲川の支流依田川上流に位置し,西は美ヶ原,茶臼山(2006m)を隔てて松本市に接する。村域の90%が山林・原野で,耕地は依田川沿いなどに限られる。中心集落の和田は中山道の宿駅として発達した。村の南西には中山道随一の難所といわれた和田峠があり,付近は石器時代から黒曜石の産地であった。新和田トンネル有料道路の開通(1978)後は諏訪地方との往来が容易になり,また美ヶ原と茅野市を結ぶビーナスライン(2002年無料開放)を利用した観光客が増えた。野菜栽培,畜産,稲作を中心とする農業が主で,エノキタケ栽培も盛んである。国道142号線が通じる。黒耀石石器資料館,中山道和田宿本陣,歴史の道資料館などの施設がある。
執筆者:柳町 晴美
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
長野県中東部、小県郡(ちいさがたぐん)にある町。2005年(平成17)同郡長門町(ながとまち)、和田村(わだむら)が合併して成立。松本市の南東にあたる。町域の西に美ヶ原高原(うつくしがはらこうげん)、南には霧ヶ峰高原が連なり、南東の蓼科高原(たてしなこうげん)にかけてビーナスラインで結ばれる。ほかに国道142号、152号、254号が通じる。標高が高く冬の寒さは厳しい。積雪量は比較的少ないが、積雪期間は4か月余りと長い。町の約80%以上が山林で占められ、米作のほか、エノキダケ、リンドウ、薬用ニンジンの栽培、酪農、黒曜石(こくようせき)系バーライト加工などが行われている。南西端の和田峠(わだとうげ)付近は、旧石器時代から縄文時代に石器の材料とされた黒曜石の産地として全国的に著名。江戸時代の和田峠は現在の峠道の西方約1キロメートルにあり、中山道最大の難所であった。峠を北東に下った和田宿には本陣や町家が保存され、次宿の長窪宿(長久保宿)にも本陣などの建物が残り、盛時のおもかげをとどめる。長窪宿から中山道を東へ向かい、急坂を登ると当時の松並木が残る笠取峠(かさとりとうげ)に至る。1978年(昭和53)和田峠の南方に新和田トンネルが開通し(国道142号)、峠越えは短縮された。南部の茅野(ちの)市境にある大門峠(だいもんとうげ)は、古代には東山道(とうさんどう)から分かれて信濃国府へ向かう道が通り、中世には甲斐武田の信濃進攻の要路となった。長久保古町地区の東側、標高800~1100メートルの高原に町直営の学者村別荘地があり、大門峠下の姫木平(ひめきだいら)も別荘地として開発されている。面積183.86平方キロメートル、人口5600(2020)。
[編集部]
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