大須郷村(読み)おおすごうむら

日本歴史地名大系 「大須郷村」の解説

大須郷村
おおすごうむら

[現在地名]象潟町大須郷

川袋かわふくろ川左岸下流域に位置し、北は川袋村、南は小砂川こさがわ村に接する。

慶長一七年(一六一二)の由利郡御検地帳(本荘市立図書館蔵)に「仁賀保上浜之内大須郷村」とあり、一四七石余と記される。

慶長七年最上氏領となり、元和八年(一六二二)本多正純領、翌九年仁賀保挙誠領、寛永元年(一六二四)仁賀保家分知の時に、良俊(七千石家)領、同八年天領となり、庄内酒井氏預領となる。同一七年生駒高俊の由利入部に際し、生駒領となったが、村の一部が天領として残り、相給となった(庄内御預所由利郡拾壱ケ村御案内帳)

正保三年(一六四六)の出羽国油利郡之内仁賀保兵庫上給村々高辻に、「高四拾八石三斗六升壱合 大須郷村 松木林有」とあり、同年の出羽国油利郡之内知行高帳に、「高弐百五石壱斗四升八合 大須郷村 松山有り新田有り」とある。


大須郷村
おおすごうむら

[現在地名]五泉市大須郷

菅名すがな岳西麓の台地に位置し、北西中川新なかがわしん村、南西菅出すがいで村に接する。寛文一三年(一六七三)の村上御領分組々村数并高付大庄屋付(大滝家文書)では笹堀組に属し、貞享元年(一六八四)郷村高辻帳には高三〇石五斗余とある。宝永七年(一七一〇)幕府領、天保元年(一八三〇)沼津藩領となり、安政二年(一八五五)の沼津領村々明細書上帳(五泉郷土史)によると高六四石五斗余(田高四六石四斗余・畑一八石余)、反別九町四反余(田三町九反余・畑五町四反余)、家数七・人数二九(男一〇・女一九)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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