天日陰比神社(読み)あめひかげひめじんじや

日本歴史地名大系 「天日陰比神社」の解説

天日陰比神社
あめひかげひめじんじや

[現在地名]鹿西町西馬場

眉丈(びじよう)山頂の雷(らい)ヶ峰(一八八メートル)に南東に面して鎮座する。祭神は水波能売神を主神として高神・闇神を祀る。旧村社。雨の宮(あめのみや)と通称されており、「延喜式」神名帳に載る能登郡の同名社に比定されるが、鹿島町二宮(にのみや)の同名社に比定する説もある。社伝によれば、もとは能登一国の祈雨社であったといい、天禄年間(九七〇―九七三)国守源順が神田一千七〇〇歩を寄進したと伝える(能登部町誌)。中世には能登郡一円の総雨乞社であったが、江戸時代初期に下浅井・上浅井・矢田・甘田の四組の雨乞社になったと伝え、寛政二年(一七九〇)六月の神璽箱書によれば、能登部・芹川・高田・笠師四組の雨乞社となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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