新撰 芸能人物事典 明治~平成 「天明愛吉」の解説
天明 愛吉
テンメイ アイキチ
- 職業
- 俳優
- 別名
- 芸名=市川 朝之助(イチカワ トモノスケ),筆名=天明 愛彦(テンメイ ナルヒコ)
- 生年月日
- 明治17年
- 出生地
- 東京都 芝愛宕下
- 学歴
- 慶応義塾普通科
- 経歴
- 両親の溺愛を受けて育つ。慶応義塾普通科に進み、親友に高橋誠一郎、吉田金之助を得た。卒業後は高等遊民として暮らす中、島崎藤村の「若菜集」を読んで感銘を受け師事を願う手紙を出すが、「私は弟子をとらないが、友としてなら喜んで迎える」という返信をもらい、以後生涯の交友を結んだ。藤村の勧めで俳優の道に進み、市川朝之助の名前を贈られ、藤村の親友・2代目市川左団次の自由劇場に入団。「ベニスの商人」のサレイニオウ役でデビューするが、舞台で倒れたことをきっかけに俳優の道を断念。大正5年同じ一座にいた初代中村又五郎が民衆座を興すと総括役を頼まれたが、9年又五郎が夭折し、10年その遺児に2代目を襲名させて劇界から身を退いた。その後、吉田幸三郎との交友から再興美術院を支援し、速水御舟、安田靫彦、小林古径、石井鶴三らとも交友を持った。晩年は神奈川県の大磯に移り住み、藤村が同地を終の棲家にするきっかけをつくった。親類の黒川鐘信による「高等遊民 天明愛吉」がある。
- 没年月日
- 昭和24年 (1949年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報