天満堀川(読み)てんまほりかわ

日本歴史地名大系 「天満堀川」の解説

天満堀川
てんまほりかわ

天満に慶長三年(一五九八)開削され(大阪市史)、大川より北上して綿屋わたや町に至る堀川であったが、昭和四七年(一九七二)埋立てられた。河水停滞で北端塵芥がたまり「ごもく山」といわれるほどであった。元禄年間(一六八八―一七〇四)の大坂三郷町絵図には夫婦みようと池を通り町奉行同心屋敷北側に延びる小水路がみえ、淀川に通じていた可能性がある。天保九年(一八三八)大塩の乱後の貧民救済策として東町奉行跡部山城守良弼が綿屋町から東へ掘割を開き、舟運の便をよくした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報