朝日日本歴史人物事典 「天満屋治兵衛」の解説
天満屋治兵衛
生年:元和2(1616)
江戸前期の商人,備後御調郡(広島県向島町)富浜塩田開発者。富島治兵衛(屋号天満屋)として紀州和歌山で生まれる。法名浄友。治兵衛は世襲名。4歳のとき,藩主浅野長晟 の広島入封により,父と共に広島に移る。天満屋は藩の肴御用を務めていたが,寛文3(1663)年浄友は家業を妹婿に譲り,酒造業をはじめる。宝永1(1704)年には広島藩の藩札発行に際し,札元を命ぜられるほどの豪商になっていた。延宝5(1677)年に備後国尾道町(尾道市)の対岸向島に自力で塩浜を開発。富浜古浜11軒がそれで,のち,天満屋所有の塩浜は29軒となる。『富浜開地覚書』(1711),『富島氏先祖聞書』(1713),『富浜開基以来万覚書帳』(1775)によって開発経過,経営の詳細がわかる。<参考文献>日本専売公社『日本塩業大系/史料編近世1』
(渡辺則文)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報