天満屋治兵衛(読み)てんまや じへえ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

天満屋治兵衛 てんまや-じへえ

1616-1682 江戸時代前期の豪商。
元和(げんな)2年生まれ。家は紀伊(きい)和歌山藩の肴(さかな)御用をつとめ,元和5年藩主の転封(てんぽう)で安芸(あき)広島にうつる。寛文3年酒造業をはじめる。延宝5年備後(びんご)御調郡(みつぎぐん)富浜村に天満屋新開とよばれる塩田を開発した。天和(てんな)2年6月16日死去。67歳。姓は富島

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

天満屋治兵衛

没年:天和2.6.16(1682.7.20)
生年:元和2(1616)
江戸前期の商人,備後御調郡(広島県向島町)富浜塩田開発者。富島治兵衛(屋号天満屋)として紀州和歌山で生まれる。法名浄友。治兵衛は世襲名。4歳のとき,藩主浅野長晟 の広島入封により,父と共に広島に移る。天満屋は藩の肴御用を務めていたが,寛文3(1663)年浄友は家業を妹婿に譲り,酒造業をはじめる。宝永1(1704)年には広島藩の藩札発行に際し,札元を命ぜられるほどの豪商になっていた。延宝5(1677)年に備後国尾道町(尾道市)の対岸向島に自力で塩浜を開発。富浜古浜11軒がそれで,のち,天満屋所有の塩浜は29軒となる。『富浜開地覚書』(1711),『富島氏先祖聞書』(1713),『富浜開基以来万覚書帳』(1775)によって開発経過,経営の詳細がわかる。<参考文献>日本専売公社『日本塩業大系/史料編近世1』

(渡辺則文)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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