七条院(読み)しちじょういん

精選版 日本国語大辞典 「七条院」の意味・読み・例文・類語

しちじょう‐いん シチデウヰン【七条院】

高倉天皇後宮藤原殖子院号。父は坊門信隆。母は藤原休子。初め中宮平徳子に仕え、のち典侍となる。後高倉院・後鳥羽天皇を生み三宮に準ぜられ建久元年(一一九〇)院号を宣下して七条院という。法名真如智。保元二~安貞二年(一一五七‐一二二八

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デジタル大辞泉 「七条院」の意味・読み・例文・類語

しちじょう‐いん〔シチデウヰン〕【七条院】

[1157~1228]高倉天皇の後宮、藤原殖子の院号。後鳥羽天皇の母。

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改訂新版 世界大百科事典 「七条院」の意味・わかりやすい解説

七条院 (しちじょういん)
生没年:1157-1228(保元2-安貞2)

父は藤原信隆,母は藤原休子。名は殖子。建礼門院に仕えて兵衛督局といい,のち高倉天皇の典侍となってその寵を得,後高倉院,後鳥羽天皇を生んだ。1183年(寿永2)後鳥羽が即位すると,その母として90年(建久1)従三位,准三宮となり,院号を与えられて七条院と称した。1205年(元久2)出家し,真如智という。

 後鳥羽との関係は親密で,後鳥羽はその最も愛する水無瀬殿をはじめ仁和寺殿,法華堂,山城上桂荘・河島荘ほか2荘,河内田原荘ほか2荘,摂津小松荘ほか3荘,伊勢野俣道荘ほか2荘,美濃弾正荘・鵜飼荘ほか1荘,越前織田荘ほか3荘,近江大国荘ほか1荘,和泉永吉荘,丹波田能荘,大和檜牧荘ほか2荘,遠江気賀荘,淡路菅原荘,周防束荷荘,肥後神倉荘ほか1荘,肥前植木荘等を七条院領としている。他の女院領と比べ最も遅れて成立したこの荘園群には,東国の荘園はほとんど見られない。女院の弟坊門信清は後鳥羽の信任厚く,七条院は宣陽門院,八条院と並んで権勢を競い,1206年(建永1)筑前の安楽院に三重塔を建て,14年(建保2)その居所に歓喜寿院を建立,若狭国太良荘の年貢の一部をその修二月雑事にあて,21年(承久3)承久の乱直前にこの荘を正式に同院領とした。しかし乱後は所領を一時幕府に没収されるなど勢威は衰えた。26年(嘉禄2)病にかかり,卿二位藤原兼子の勧めにしたがって所領の処分のことを定め,死の直前の28年女院領を兼子の姉で後鳥羽の後宮となった修明門院重子に,歓喜寿院を後鳥羽の子,信清の孫仁和寺御室道助に譲った。修明門院はこれを順徳天皇の子,女院の孫四辻親王善統に譲るが,善統はそのうち21ヵ所を80年(弘安3),残る17ヵ所も89年(正応2)に後宇多上皇に渡す。1308年(延慶1)これを後宇多から譲られた尊治親王(後醍醐天皇)はこの17ヵ所を再び善統に返し,21ヵ所をその手中に保持している。
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朝日日本歴史人物事典 「七条院」の解説

七条院

没年:安貞2.9.16(1228.10.15)
生年:保元2(1157)
鎌倉前期の女院。名は殖子。後白河院の近臣修理大夫(贈左大臣)藤原信隆の娘。初め高倉天皇の中宮平徳子(建礼門院)に仕えて兵衛督局と称したが,のち高倉天皇の典侍となり,天皇との間に守貞親王(後高倉上皇),後鳥羽天皇を生む。建久1(1190)年4月19日,従三位・准三后,同月22日院号宣下。後鳥羽との関係は極めて親密で,国母として権勢を有し,後鳥羽より多くの荘園を譲られた(七条院領)。また姪の西御方(坊門信清の娘)が後鳥羽との間に生んだ道助法親王を猶子として養育した。

(秋山喜代子)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「七条院」の解説

七条院 しちじょういん

1157-1228 平安後期-鎌倉時代,後鳥羽(ごとば)天皇の母。
保元(ほうげん)2年生まれ。藤原信隆(のぶたか)の娘。高倉天皇の中宮平徳子(建礼門院)につかえ,兵衛督君(ひょうえのかみのきみ)とよばれる。のち高倉天皇の典侍となり,後高倉院,後鳥羽天皇を生む。建久元年(1190)従三位,准三宮(じゅさんぐう)となり,院号をうける。後鳥羽天皇からおおくの荘園をおくられた(七条院領)。安貞2年9月16日死去。72歳。名は殖子(しょくし)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「七条院」の意味・わかりやすい解説

七条院
しちじょういん

[生]保元2(1157).京都
[没]安貞2(1228).9.16. 京都
高倉天皇の後宮。名は殖子 (しょくし) 。父は贈左大臣従一位藤原信隆。母は贈正一位藤原休子。初め中宮平徳子に侍し,兵衛督君といわれたが,のち典侍となり,守貞親王 (後高倉太上天皇) および尊成 (たかひら) 親王 (のち後鳥羽天皇) を生んだ。建久1 (1190) 年従三位を授けられ,三宮に准じられ,次いで院号宣下をこうむって七条院と称した。元久2 (1205) 年落飾,法名は真如智。

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