奈半庄(読み)なはのしよう

日本歴史地名大系 「奈半庄」の解説

奈半庄
なはのしよう

現奈半利町と北に続く北川きたがわ村の一部を荘域とした荘園で、「和名抄」所載の奈半郷が荘園化したものと思われる。延久二年(一〇七〇)七月八日付の金剛頂寺解案(東寺百合文書)に「八幡少別当頼□国司藤原朝臣範基任終年、以去永承四年構成免判、掠入田畠、猥称奈半庄内之領、尋件庄四至者、東限東山、南限海岸、西限川岸、北限野川」とあり、続けて金剛頂こんごうちよう(現室戸市)の寺領は「東限海岸、西限波禰中山、北限佐貴河、各四至之間、(ママ)地相隔三十余町也、従件年、越数十町西坂本修理山川田畠等被押妨領、是枉法之甚也」と記している。すなわち永承四年(一〇四九)以降、奈半庄の荘司が荘域を越えて三〇余町隔った金剛頂寺領の羽禰坂本はねさかもと(現室戸市)を侵略したというのである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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