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荘園整理令 しょうえんせいりれい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

荘園整理令
しょうえんせいりれい

平安時代,荘園の増大を抑止するために出された一連の法令。整理令には,全国を対象としたものと,国単位に出されたものとがある。全国を対象とした整理令としては,延喜2 (902) ,永観2 (984) ,永延1 (987) ,長久1 (1040) ,寛徳2 (45) ,天喜2 (54) ,延久1 (69) ,承保2 (75) ,承暦2 (78) ,康和1 (99) ,大治2 (1127) ,保元1 (56) 年などの荘園整理令があげられる。延喜2年3月に出された9通の官符のうち4通が「院宮王臣家の庄」を停止することを目的としたもので,この部分が延喜荘園整理令と称され,整理令の最初のものである。この整理令の眼目は,諸国の農民 (富豪層) が課役を逃れる目的で,寄進,売却と称して王臣家の庄とする動向に対処し,農民と王臣家の結合を切断することであった。この整理令は,寛徳荘園整理令が出るまでの荘園整理の基準とされた。ところが,寛徳荘園整理令になると,前任国司の在任中以後に立てられた新立荘園の停止というように,整理の基準線が大幅に引下げられるにいたった。この整理令は,1040年代の別名制の公認・郡郷制の改編といった一連の国政上の改革と関連して出されたと考えられている。これを受けて,院政期の荘園整理令の基準を打出したのが,延久荘園整理令と記録荘園券契所 (→記録所 ) の設置である。延久荘園整理令は,後三条天皇宣旨枡 (せんじます) の制定などに象徴される一連の国政改革の一環であり,審査の基準は,(1) 寛徳以前の成立の確かな証拠の有無,(2) 国務の妨げになるか否かの2点であり,審査にあたって,荘園の所在地,領主,田畠惣数などの調査を行なって,権門勢家領に打撃を与えた。しかし,整理令は常に一定の基準に基づき公認あるいは停廃するものであり,しかも,その基準が引下げられていったから,結果的には,荘園の増大を追認する荘園公認令ともいうべき役割を果したのである。やがて鳥羽院政期になると,荘園整理が放棄され,全国的に荘園の新立,拡大が行われるにいたった。保元荘園整理令は平安時代最後の整理令であるが,神人 (じにん) ・寄人 (よりゅうど) の統制に力点がおかれている。以後,鎌倉時代に入っても,整理令が出されているが,形式的,吉書的なものであった。

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デジタル大辞泉の解説

しょうえんせいり‐れい〔シヤウヱンセイリ‐〕【荘園整理令】

平安時代、荘園増加を抑えるために出された法令。延喜2年(902)以降たびたび発令されたが、十分な効果はあがらなかった。

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百科事典マイペディアの解説

荘園整理令【しょうえんせいりれい】

荘園整理荘園

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世界大百科事典 第2版の解説

しょうえんせいりれい【荘園整理令】

最初の荘園整理令は902年(延喜2)のもので,この格を基準として格前からの荘園は合法,格後の荘園は停止するという方針が1040年(長久1)までとられた。984年(永観2)の整理令も格前・格後を基準とした。1040年に当任国司以降の新立荘園を停止するとした長久令が出されて,荘園整理令は新たな段階に入る。長久令は,従来たんなる荘園整理の議だけにとどまったと解されていたが,やはり整理令として出されたと考えられる。

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