日本歴史地名大系 「奥佐見村」の解説 奥佐見村おくさみむら 兵庫県:姫路市旧揖保郡地区奥佐見村[現在地名]姫路市林田町奥佐見(はやしだちようおくさみ)・林田町八幡(はやしだちようやはた)上伊勢(かみいせ)村の西に位置し、揖東(いつとう)郡に属する。北東は山田(やまだ)村。慶長国絵図に「をくさミ村」とみえる。領主の変遷は大堤(おおづつみ)村と同じ。元和三年(一六一七)の揖東郡郷帳(林田郷土史)によれば高五五〇石。正保郷帳には奥佐美村とみえ、田方四二一石余・畑方三六石余、ほかに八幡社領一〇石がある。天保郷帳では高六三二石余。明治初年東奥佐見村と西奥佐見村に分村した。当地の葛城垣内(かつらぎかいち)を山田方面へ越える頂上の北に標高四七八・六メートルの葛城山があり、別名を不動(ふどう)山という。中世同山に不動山飯出(はんしゆつ)(ばさ)寺があった。「峯相記」によると、飯出寺は行基の弟子澄光の建立とされ、戦国時代羽柴秀吉の中国攻めにより焼失したという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by