(榎原雅治)
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南北朝時代の武将。法名円心。護良(もりよし)親王の令旨に応じ,六波羅探題の攻略など元弘の乱で活躍し,建武政権の成立に力を尽くしたが,報いられるところ少なく,1336年(延元1・建武3)足利尊氏が建武政権にそむいて九州下向の際その与党となる。播磨の守護職に補任され,新田義貞軍の攻撃を防ぎ,さらに尊氏の上洛,京都制圧に功があった。播磨では守護代に柏原氏,宇野氏ら一族を任じ,郡ごとに郡使(こおりし)を配して定役夫の譴責,徴収を行わせるなど支配機構を整備した。禅僧との交流も深く,一族の宗峰妙超(大灯国師)の檀那として大徳寺の創建に関与し,また雪村友梅を開山として播磨赤穂郡苔縄城下に法雲寺を開創した。雪村の没後,建仁寺にその塔所大竜庵を営み,晩年にはそれに隣接して私邸を建てた。京都七条邸に没し,大竜庵に埋葬された。諡号(しごう)は法雲寺殿月潭円心。
執筆者:岸田 裕之
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1277~1350.1.11
鎌倉後期~南北朝期の武将。播磨国佐用(さよ)荘地頭茂則の子。次郎。法名円心(えんしん)。同荘の代官で六波羅探題被官小串氏のもとにあった。元弘の乱に際し,護良(もりよし)親王の令旨(りょうじ)をうけて同荘内の苔縄(こけなわ)城で挙兵。播磨国人を集めて東上,足利尊氏らとともに六波羅を攻め落とした。建武政権によって播磨国守護職を与えられたが,まもなく没収,恩賞は佐用荘の安堵に限られた。そのため,尊氏が建武政権に離反するとただちに呼応,尊氏が九州にのがれた際,追走する新田義貞軍を佐用荘内の白旗城で支えるなど,室町幕府の成立に大いに貢献。初代の播磨国守護に任じられ,同氏の守護大名としての発展の基礎を築いた。
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南北朝時代の武将。法名円心(えんしん)。元弘(げんこう)の乱のとき六波羅探題(ろくはらたんだい)の攻略などに活躍し、建武(けんむ)政権の成立に功があったが、1336年(延元1・建武3)足利尊氏(あしかがたかうじ)が建武政権に背くとその与党になり、播磨(はりま)国守護職に任ぜられる。守護代には一族の柏原氏、宇野氏らを任じ、各郡に郡使(こおりし)を配置し、支配機構を整備、領国支配の基盤を築いた。禅僧との交流も深く、一族の宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)の檀那(だんな)として大徳寺の創建にかかわり、また雪村友梅(せっそんゆうばい)を開山として赤穂(あこう)郡苔縄城下に法雲寺を開創。諡号(しごう)は法雲寺殿月潭円心。
[岸田裕之]
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…兵庫県赤穂郡上郡町赤松の白旗山(標高440m)の山頂に築かれた山城。1336年(延元1∥建武3)赤松則村(円心)が新田義貞を迎え討つために築いた。城の名は,源氏の白旗が天空より舞い下ったという伝説による。…
…こうして悪党活躍のまま南北朝の内乱を迎える。
[南北朝・室町・戦国時代]
摂関家の九条家領佐用荘に本拠をもつ赤松則村は悪党勢力の結集に成功し,33年(元弘3)護良親王の反幕挙兵に応じ,後醍醐に供奉して入京した。だがその結果播磨を得たのは新田義貞で,不満をもった則村はつづく足利尊氏の反乱に参加し36年(延元1∥建武3)播磨守護職を得た。…
※「赤松則村」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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