日本歴史地名大系 「奥海田村」の解説 奥海田村おくかいたむら 広島県:安芸郡海田町奥海田村[現在地名]海田町東海田(ひがしかいた)海田市(かいたいち)の東に位置する。南にそびえる金(かな)ヶ灯籠(どうろう)山、東の洞所(どうところ)山からそれぞれ流れる三迫(みさこ)川・唐谷(からたに)川が合流して瀬野(せの)川に注ぎ、この両川沿いの谷と瀬野川左岸域に耕地がある。北方の日浦(ひうら)山南麓と瀬野川の間を山陽道が走り、東の熊野(くまの)村(現熊野町)へは峻路ながら赤穂(あこう)峠(四六〇メートル)・礫越(つぶてごえ)峠(現古峠、五〇〇メートル)が通じる。瀬野川左岸にある帆町(ほまち)(帆巻の転訛という)・蟹原(かにはら)・磯田(いそだ)・浜(はま)などの地名(国郡志下調書出帳)から、当地がかつて海に面していたことが知られる。古くは包(つつみ)の浦と称したと伝えるが(芸藩通志)、平安末期には八条院領開田(かいた)庄があった。応安四年(一三七一)九州探題として任地に下る途中、当地辺りに滞在した今川了俊は、「道ゆきぶり」に次のように記している。<資料は省略されています>了俊の通った「しほひの浜」は、甲越(こうごえ)峠を越える古山陽道に代わって、海辺を行く主要ルートの地位を得つつあったことがうかがえる。室町時代になると阿曾沼氏が南下して開田庄を領した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by